@武蔵野市民文化会館
アリス・アデール〈ピアノ〉
バッハ 《フーガの技法》
『フレンチ・プログラム』セヴラック、ドビュッシー、ラヴェル、フィリップ・エルサン
春の陽気が続いた先週、2日に渡って78歳にして初来日のフランス女流ピアニスト アリス・アデールを聴いた。
初日は《フーガの技法》。
譜面台を立てて楽譜を置き、1曲ずつ大きな譜面をめくっていく。まず背筋がピンと伸びて姿勢が非常に良い。約100分間休憩なしだが、ピアノの横に台を置き、途中3、4回口に水を含ませながら演奏していた。
厳かな面持ちで静かにそれぞれの主題を始めていく姿はまるで神にその身を捧げる修道女のようで、舞台の背後に大きなパイプオルガンがあるせいか、教会でオルガンを聴いているような錯覚に陥る。頂点に向かってポリフォニーが入り組んでくると各々の声部の絡む様がはっきり聴き取れず彫りが浅くなってしまい、バッハならではの大伽藍が現れてこないのが残念。アンコールの小品になった途端に音色に色彩と潤いが倍増したので、5日後のフレンチ・プログラムに期待する。
そしてフレンチ・プログラム当日。
冒頭のセヴラックの小品では、先日のフーガの技法とは異なり、思い切りの良い骨太な音楽を聴かせてくれる。次はドビュッシーの練習曲集から3曲。’対比音のための’のように音楽が多層構造になってくると、その弾き分けや打鍵の繊細さは今ひとつだが、’アルペジオのための’では即興的で軽妙なリズム取りに長年培ってきた感覚的な巧さを発揮し、ラヴェルの”鏡”からの3曲ではそれぞれの場面に合わせた音色造りや響きの豊潤さが見事だった。
後半は彼女に捧げられたというフィリップ・エルサンの《エフェメール》を楽譜とともに演奏。儚さというタイトルの如く24の小曲からなる曲集で、日本の俳句(主に松尾芭蕉)から得たインスピレーションがメシアンに似た和声を用いて書かれているのだが、アデールはまるでスケッチをするかのように、色合いを大胆に音で描いていく。フレージングなどの構築性があまり必要ないからだろうか、演奏は一層溌溂としていて、確信に満ちた、生きた音を紡いでいた。