【コンサート覚書き】ブロンズ/コブリン/ピレシュ&ゲルネ
もうだいぶ経ってしまったけれど、10月末から11月にかけて3夜連続(3日とも違うピアノ)で演奏会に出かけたので、備忘録として思い出しながら書いてみます🗒
Willem Brons Piano Recital
ヴィレム・ブロンズ ピアノリサイタル@すみだトリフォニーホール小ホール
ピアノはスタインウェイ。
私が芸大に通う頃から良く公開レッスンをしにいらしていたオランダの名伯楽。87歳とは思えない足取りとお顔の血色も良く元気なお姿で舞台に登場。
古楽器を聴いているかのような打鍵、リズムやトリルの扱い、ペダリングなど、サウンドは決して豊かではないけれど、モチーフやフレーズを一つ一つ大事に語りかけるように、慈しむように扱う。
曲の展開部分で多声になればなるほど熱が増してのめり込んでいくので、とにかく音楽への熱意が伝わってくる。バスや内声のラインに導かれて聴いて行った先でまるで贈り物が届けられるかのように、フレーズ全体が立体的に見えてくることに凄みを感じる。
アンコール最後のシューベルト『楽に寄す』のしみじみとした味わいといい、この演奏の価値が現役学生にどれだけ理解できて、共感することができるのだろうと、次の世代に伝えていかなくてはならないものの甚大さを思う。
Alexander Kobrin Piano Recital
アレクサンダー・コブリン ピアノリサイタル@浜離宮朝日ホール
ピアノはSHIGERU KAWAI。
チャイコフスキー『四季』全曲とラフマニノフ音の絵op.39全曲というロシアンプログラムを楽しみに出かけた。本人の意向で前半を音の絵に変更。柔らかい腕遣いとともに、ただ呼吸をするのと同じようにエチュードを弾き始める。終始大きな波に身を委ねていて、全9曲を脈々と一つの絵巻物のように聴かせていく。ポリフォニックなアプローチ等、桁外れの頭脳は健在。ただあまりにも流れ重視のため、心が入っていないかのようにも聞こえる。スケルツォの要素が強いh moll やa mollは躍動するリズムや色彩感を楽しめたが、時折りリズムが必要以上に端折って詰まってしまい、音も不明瞭のままそれでも突き進んでいくのに疑問を抱く。
後半に持ってきたチャイコフスキーも、出だしこそ弱音の響きへのこだわりが聴こえたのだが、プレトニョフのそれとは違い、まだ開拓途中のような感じ。終始懐かしんでいるかのような、何か彼自身もがいているような。
2015年にはアメリカ国籍を取得してもう長く向こうに住んでいるとは言っても、今後もこうしてロシアンプログラムを求められ続けるだろうし、現在の国際的なロシアの状況が少なからず影響を及ぼしているのではと思えてならなかった。
Maria Joao Pires&Matthias Goerne
Schubert “Winterreise“
マリア・ジョアオ・ピレシュ&マティアス・ゲルネ@サントリーホール
今年度の高松宮殿下記念世界文化賞を受賞したピリスがゲルネを指名しての冬の旅。
ピアノはヤマハCFX。
歳の差も親子のようだけれど背格好の差もものすごく、ゲルネのような大男と並ぶとピレシュは余計に小さく見える。
ゲルネを十数年前に聴いた時は、響き重視の歌唱法のあまりドイツ語がよく聞き取れずにがっかりした記憶があるが、いまや50代後半となり余分なものを削ぎ落として、円熟味が増している。
ピレシュのピアノは暗さはないが凛とした空気感があり、巧みなコントロールで主張と寄り添いを自在に操っている。何よりピレシュ自身が心からこの舞台を楽しんでいるので、聴いているこちらも集中して彼女の創造する世界感を楽しめた。
ただ、舞台に近い2階右側の席に座ったので、ゲルネが終始、真反対の左側2階へ向かって歌うのだけが残念だった。