大学の仕事が早く済んだ昼下がり、前から訪れたいと思っていた五島美術館へ出掛けた。
展示室は右と左にひとつずつ。
外には、武蔵野台地から多摩川への丘陵地を活かした広大な庭園もあるようだ。
展示室1の手前にいきなり、運慶作と伝わる愛染明王坐像(重要文化財)がわりと無造作に置かれてあり、思わず立ち止まる。冠の獅子の表情から土台の蓮作りまで、観入ってしまう。
入ってすぐの『遊鶴図』を描いた橋本雅邦は、横山大観や川合玉堂の師匠で、二羽の鶴が精緻な筆遣いで描かれている。首を伸ばした鶴と折り曲げた鶴どちらも、緻密で写実的な脚の筆遣いに目が行く。
それに比べて羽や体のラインは一筆で描く大胆さ、首に描いた黒と白の塩梅も目を引く。
跡見花蹊(のちに跡見学園を創立した女流画家)の墨絵『茄子に雀』では、薄墨で描かれた茄子の葉先の鋭角さ、筆先のかすれ具合も生々しく、新鮮に感じられる。茄子の実それぞれの角度に遊びがあり、墨の濃淡で艶やそのサイズ感を巧みに描いている。
雀は淡い墨色で描くことで主たる茄子との距離をあらわし、羽と背景を同色にすることで空気との一体感、浮遊感を見事に表現している。
渡辺省寧の『牡丹』は、雪の覆いかぶさる藁の下に鮮やかなピンク色の牡丹が大胆に描かれ、その花弁の濃淡に目が行く。
その下にうずくまるように、前方からの角度で小さく描かれた雀の姿に、季節外れの大雪に凍える様子と、それでも咲き誇る牡丹の生命力を感じる。
洋画を学んだ色彩感覚と、対象への焦点の当て方に技が光る作品。
大橋翠石『猛獅虎の図』では、虎と獅子の対峙するさまを描いているが、虎は前脚を踏ん張って精一杯挑むのに対して、獅子は左前脚が折れていて、ふと虎の存在に気がついた様子。それでも眼孔を光らせて威勢を放っている。
虎の皮膚の茶色に何とも言えないビロードのような質感を与え、獅子に立ち向かう緊張の瞬間を表しており、肌が小刻みに震えている様にも見えてくる。
川合玉堂の『松鷹図』では、まるで印象派のような松の朧げな筆遣いに対して、鷹の存在感たるや、眼と口もと、頭の横ラインに緊張が迸っていて、緊張と弛緩が見事に描かれる。
小杉放庵の『啄木』も面白い。
柏の木が幹の途中で切られて朽ちていて、そこに停まる啄木鳥は、さもがっかりと肩を落としているように見える。洋画を学んだのちに日本画を描くようになっただけあって、油絵のタッチを活かした啄木鳥の塗りに思わず目が行く。
虫食いだらけの葉は枯れていながら色のグラデーションが美しく、幹には大小幾つかのキノコが生えており、大きなものは5色の色を使ってカラフルに、そしてデザイン的に描かれる。
デザインといえば、小林古径の『茄子』はデザイン性に非常に優れていて、葉も花も実も様々な角度から見た姿をポップに描く。
それに対して横山大観の『茄子』は墨絵とはいえ、何もこちらに訴えてこないのが不思議だ。
そのほか、前田青邨の幻想的な『紅葉』や、村上華岳の味わいのある『野鳥』、奥村土牛の『栗鼠』の愛らしい横顔と柘榴の紅も印象的だった。
展示室2では特別展示として古文書が展示されており、後醍醐天皇、藤原為定、足利義満の詠んだ和歌もあって興味深かった。