【演奏会予定】2020年3月27日 ソウル キム・ドヨン氏とデュオ・リサイタル
【お知らせ】
新型コロナウイルスの影響により、この演奏会は 残念ながら中止となりました。
2020年3月27日(金)19時30分 開演 ソウル・江南区 Café Cellista
ヴァイオリン:キム・ドヨン氏とデュオ・リサイタル
プログラム
ドヴォルザーク 4つのロマンティックな小品
チャイコフスキー 四季より
チャイコフスキー ワルツ ・スケルツォ ほか
【お知らせ】
新型コロナウイルスの影響により、この演奏会は 残念ながら中止となりました。
2020年3月27日(金)19時30分 開演 ソウル・江南区 Café Cellista
ヴァイオリン:キム・ドヨン氏とデュオ・リサイタル
プログラム
ドヴォルザーク 4つのロマンティックな小品
チャイコフスキー 四季より
チャイコフスキー ワルツ ・スケルツォ ほか
Philharmonia Orchestra @Tokyo Bunka Kaikan
Program
Stravinsky Le Sacre du printemps
Stravinsky L’Oiseau de feu
ベルリン留学時代、様々な指揮者がベルリン・フィルを振るのを聴いたが、当時の常任指揮者だったクラウディオ・アバドよりも、先日亡くなったマリス・ヤンソンス、ベルナルト・ハイティンク、ギュンター・ヴァントなど客演指揮者の方が印象に残る演奏が多く、なかでも脳裏に焼き付いているのがクルト・ザンデルリンクのショスタコーヴィチ交響曲第15番とサロネンの火の鳥だった。
ロンドンを拠点とするフィルハーモニア管弦楽団とは30年以上の付き合いで、首席を務めるのは今シーズン限りとのこと。しかもストラヴィンスキー・プログラム。集大成の演奏が聴けるのを楽しみに出掛けた。
サロネンの切れ味は健在で、《春の祭典》は文化会館の残響が曲にちょうど良く、低弦のゴリゴリとした音や、総管楽器群の華々しい音が直に聞こえ、オーケストラの一体感が素晴らしい。団員もサロネンを信頼し、サロネンも団員を信頼し切っていて、縛りすぎずかつ、勢い良く統率していく。
久々に大編成のオーケストラ(打楽器セクションに6人いるだけでワクワクする)のドライブ感を味わい、ゾクッと鳥肌が立った。
後半の《火の鳥》も絶妙なテンポ感と間合い、色彩、曲の核心を捉えた構築性で、ドラマティックに展開し、思わずその場面が目に浮かんでくる。弦楽器には最弱音を要求し、トランペットにはミュートを装着した上にさらに音量を絞り込むよう指示する。サロネンのタイトでスマートな指揮振りを再び体験し、最後はまるでサロネン自身がオーケストラに魔法をかける火の鳥のように見えてきた。
アンコールのマメールロワ終曲がまた、冒頭のテンポ感といい、選曲といい、感動的だった。
作曲家としての顔を持ち、その視点からの革新的な解釈もさることながら、客席上部に待機したトランペット奏者に合図するためにこちらに身体を向ける演出や、アンコールで客席に向かい人差し指を口にあてて一瞬で拍手を止めさせ、話しかける気さくさ、フットワークの軽さも人気の要因だろう。
終演後はCDが飛ぶように売れ、楽屋口には長い出待ちの列ができていた。
@Hamarikyu Asahi Hall, Tokyo
Program
Tchaikovsky: Les Saisons
Prokofiev: Sarcasms, Toccata
Schumann: Novelette Nr 8, Fantasie
ゲンリフ・ネイガウス直伝のロシアピアニズムを継承するピアニストとしては今やもうほぼ最後の存在となってしまったエリソ・ヴィルサラーゼが、今年も非常に興味を唆られるプログラムとともに来日してくれた。
チャイコフスキー 四季(1月〜8月)は冒頭から、まるで自宅のピアノで弾き出したかのようごく自然で温かな息づかいと集中力で聞かせる。それぞれの曲の性格を、あたかも匂いを嗅ぐかのように瞬時に掴み、移行していく。これまでにも増してその瞬間は冴え渡っていて、息つく暇もなくガラッと雰囲気を変える巧さに脱帽する。豊富なピアニッシモ層のグラデーションと、身体に染み付いた語り口を堪能した。
プロコフィエフは一転、乾いたペダリングや禁欲的な響きで輪郭のみを提示しながら進む。グロテスク過ぎる表現を嫌い、どれも足早に過ぎ去り、曲のエッセンスが凝縮、圧縮されたような表現が新鮮だった。
後半、お得意のシューマンは俄然音に膨らみが出て、響きに色彩が増す。ノヴェレッテは留学中のミラノでも聴いたことを、つい先日のように思い出し、あれから20年も経つのにまるで色あせることのないピアニズムを聴きながら、学生時代彼女のレコードを聴いて以来、何にこんなに惹きつけられるのだろうと考えてみる。ロシア・ピアニズム特有の息の長いフレーズはもちろん、“徹底”した声部間のバランスと鋭敏なリズム感、そして感情に飲み込まれ過ぎない凛とした表現に惹きつけられ、また音楽に対する彼女の信念の強さに心から共感しているのだなと思う。70代後半になってもこのエネルギー、ただ敬服!!
@Sumida Triphony Hall
Program
Mozart Fantasie d moll K397
Sonate a moll K310
Karmanov Schumaniana
Ustvolskaja Sonate Nr.5
Mozart Fantasie c moll K396
Sonate c moll K457
先週末、衝撃の引退宣言⁉︎ という見出しに驚きながら一年振りにリュビモフの演奏会へ。
まず幻想曲の出だしのアルペジオから、和音が生まれては朽ちてゆくさまをセンスのあるルバートで見事に表現し、メロディーを歌わせながらその伴奏形を活かすペダリングの巧さに魅せられてしまう。古典のスタイルを保つ中での表現の大胆さといおうか、繰り返しの妙技は勿論のこと、次のイ短調ソナタでは強拍を強調するその弾き方が転調とともに説得力を増し、曲の本質へとぐいぐい迫っていく。現代曲を好んで弾くからこその休符や楽章間の間合い、アウフタクトから導かれる動きがあり、また古楽器を好んで弾くからこその手首の柔軟さや抜け感は緩徐楽章のしなやかな音の伸びに繋がっている。第3楽章のイ長調の挿入部は本当に美しく、透明感のある儚げな色彩と凛とした様式美があった。
私自身と同世代の作曲家カルマノフのシューマニアーナ(リュビモフに献呈)は、曲を貫く無窮動的な動きのなかに、シューマン特有のリズムや和声進行が盛り込まれたものだが、一瞬たりとも気が緩まない、見事な緊張感で奏者としての責任を果たしていく。こんなに高いクオリティーで演奏することができるのに、来年を持ってホールでの演奏は引退をするというのだから、とても信じがたい。
後半のウストヴォリスカヤのソナタは以前も彼の演奏で聴いたことがあるが、その時とはまた違う印象で、強烈なクラスター音の連続に現在我々が直面する環境問題への警告のようにも感じ取れた。
モーツァルトのハ短調ファンタジーはいわゆる有名な方ではなく、弟子のシュタードラーが補筆したものであまり耳慣れない曲だけれど、まるでその場で即興演奏をするかのような思い切りと自由闊達な語り口で聴かせる。その後の同調のソナタも前半と同様に、テクスチュアをすっきりと聴かせてくれ、第2楽章の伸びやかな歌い口など、音の行く末まで神経を行き巡らせた名演だった。
このピアノでやりたいことがあると言って選んだCFXの、調整の素晴らしさもあいまって、強打も弱音も、切れも伸びも、バランスも自在に操って、とても弾きやすそうだったのも印象的だった。
先週の恩師ペトルシャンスキーに続き今回、そして明日のリュビモフによるカルト音楽の夜(!)、来週のシチェルバコフとロシアン・ピアニズム満喫の日々は続く…
Rut Bryk Touch of a Butterfly@Tokyo Station Gallery
東京駅丸の内北口にあるステーションギャラリーは、オリジナリティー溢れる企画でアートマニアを楽しませてくれるが、フィンランドの女性セラミック・アーティストだったルート・ブリュックの展示もその例に漏れず、チラシを見た時から妙に惹かれていた。
国内では初めての本格的な展示となったブリュックは、洗練された北欧デザインが売りの食器メーカー、アラビア製陶所でアーティストとして働きながら、個性的な陶板アートを作成する。
最初の展示室は今回写真撮影が許されており、深い青や緑、落ち着きのあるピンクやターコイズブルーなどその色合いに惹かれ、またその素朴で歪みのある形に惹かれ、スマートフォンで撮影をしながら何周まわっても飽きずに観続けた。ベネツィアの宮殿やシチリアの教会、カレリアの住居など、釉薬のかかった部分の艶が美しく、枠の風合いとともにステンドグラスを思わせる。ライオンのお腹の部分にさりげなくロバがいたり、3羽の鳥が向き合っていたり、時にユーモラスでメルヘンな題材を独創的なアートに仕上げている。父親が蝶の研究者だったので、様々な色の蝶の作品も目を惹く。
これだけでも十分満足できるものなのだが、その後モザイクのように小さなタイルを組み合わせて創るタイルアートへと変貌する。ブリュッセルの万博やミラノトリエンナーレ芸術祭のために、白、アースカラー、オレンジ、肌色のタイルと立方体の組み合わせでそれぞれの都市を表現したり、インドなどを旅した印象を形にしたイコンがあったり。
そしてさらにタイルが粒子のごとく小さくなり、簡素化していく。当然のごとく抽象画となり、幾何学的な模様が多くなる。
北欧の純粋な美しさと力強い自然を描いたという晩年の作品、《春の雲》《木》《流氷》のタイルアートは、平面上に光と影を織り交ぜながら、ちいさなタイル一つ一つに意味を持たせ、生まれては朽ち果て、現れては消えて行く、万物のはかなさをも感じさせてくれた。
地中海のポリフォニー コルシカの男声声楽アンサンブル「タヴァーニャ」
La folle journée Tokyo 2019
Cor di memoria Tavagna Corsian chant
一昨日のこどもの日、今年のラ・フォル・ジュルネ音楽祭に一公演だけ聴きに出掛けた。
会場は以前にも何度か足を運んだことのある250席ほどの、響きのデッドなホールB5。
今回の「タヴァーニャ」は9人のアカペラアンサンブルで、時間になって舞台上にゾロゾロと出てきたのが、イタリアの街角に居そうな普通のおじさん(失礼な言い方だが、9人中2人は40代で、あとは60才以上と思われる初老の方々ばかり)なので、え? この人達が? と驚いたのだが、始まった途端にその疑いは打ち消された。
最初の2曲は3人のみで歌い、自分の声をコントロールするためか、片手を耳にあて、もう片方の手は隣のメンバーの肩に掛けたりと、身体や顔を寄せ合って歌う。声は地声に近く、ソロパート1人にあとの2人が合いの手を入れ、和声付けをする。
特に冒頭の“タリウ村のパディエッラ”という曲は、世界文化遺産に登録されたコルシカ島の歌謡だそうで、即興的なこぶしを使った張りのある地声がホールに響き渡り、その哀愁に満ちた歌詞の内容もあって、非常に胸に迫るものだった。
3曲目からは全員で円く弧を描いて立ち、お互いの顔を見合いながら、音を聴き合いながら、時に眼くばせをしたり微笑み合ったりしながら歌う。大まかにはバス担当、テノール担当など分かれているが、高い声で歌うメンバーの中には、かなり低い音域まで出せる人もいるようだった。
これだけ近くで歌い合うのだから、メンバー同士のその日の体調なども手に取るように分かるだろう、などと思いを巡らせる。
伝統的な教会歌と世俗歌に加え、現代の作曲家に依頼したものや、自分たちで創作したものもあり、教会歌以外はすべてコルシカ語(イタリア語の方言のように聞こえた)で歌われる。日常生活における喜怒哀楽のみならず、社会に対する意見や主張も歌にしていく、土着の図太さ、たくましさを感じた。
曲間でメンバーの1人が曲の説明をし(通訳付き)、「我々は先祖、祖父の代から受け継ぎ、それを息子や孫の世代に伝えていくので、そこに新しい風を入れることが重要だ」「こうして皆さんの前で披露して、皆さんのその表情から、我々の音楽が皆さんに浸透し、またそこから我々も再びこの音楽に取り組む活力を頂いている」と話すのを聞いて、まさにそれこそが芸術文化の普遍的な価値だろうと、惜しみない拍手を送った。
2019年9月8日(日) 16時開演
千葉・M&Nホール
三宅麻美・キムドヨン デュオリサイタル
ベートーヴェン ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第1番
バッハ 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ より「シャコンヌ」
フランク ヴァイオリンとピアノのためのソナタ
ほか