「三宅 麻美 シューベルト・リサイタル」演奏会トピックス
8月20日、洗足学園音楽大学シルバーマウンテンにて行われました「三宅 麻美 シューベルト・リサイタル」のトピックスが洗足学園音楽大学のウェブページに掲載されました。
8月20日、洗足学園音楽大学シルバーマウンテンにて行われました「三宅 麻美 シューベルト・リサイタル」のトピックスが洗足学園音楽大学のウェブページに掲載されました。
生徒のご褒美コンチェルトwith 神奈川フィルを聴きに県立音楽堂へ。
いつも本選の審査で慣れ親しんでいるこの木のホールでオケを聴くのはいつ以来だろう? ひょっとして自分が芸大1年時に弾かせてもらった同じご褒美コンチェルト以来なのではないか? あの時もやたらと打楽器が大きく聞こえて驚いた記憶があるな〜、と懐かしく思い出しながら聴いていた。
生徒はオケ合わせの難しい曲を頑張って弾ききってやれやれでしたが、課題がてんこ盛りなのがあらためて確認できて、仕事の合間を縫って行って良かったとつくづく思う10月初日でした。
『浪漫の花束 ~色とりどりの性格的小品とドイツ歌曲の世界~ 第3回 シューベルト』
2023年12月8日〔金〕19時開演
銀座・王子ホール
シューベルト 《楽興の時》作品94(全曲)
シューベルト 連作歌曲《美しき水車小屋の娘》作品25(全曲)
テノール 望月哲也
『キム・ドヨン─三宅麻美・デュオリサイタル』
2023年9月6日〔水〕19時30分開演
韓国光州 Kumho Art Hall
ドヴォジャーク 4つのロマンティックな小品
ドヴォジャーク ソナチネ ト長調
シューベルト 楽興の時より
シューベルト ヴァイオリンとピアノのための幻想曲
ヴァイオリン キム・ドヨン
『三宅麻美 シューベルト・リサイタル』
2023年8月6日〔日〕14時開演
千葉 M&Nホール
シューベルト ピアノ・ソナタ 変ロ長調 D 960
シューベルト ヴァイオリンとピアノのための幻想曲
ヴァイオリン 横山奈加子
@五反田文化センター音楽ホール
Alexey Lubimov Piano Recitals
先週と今週、二週にわたってアレクセイ・リュビモフのリサイタルへ。
一夜目はなんとご本人、PCR証明の関係で台湾からの予定の飛行機に乗れず、開演時刻になってもまだ到着してないとのことで、20分も遅れて始まった。空港から到着してリハもなしにすぐに舞台へ出たのにも関わらず、第一音から美しすぎる音像を紡ぎ出し、ウクライナの作曲家ヴァレンティン・シルヴェストロフの世界へグイグイと引き込んでいく。
次のモーツァルトソナタK533も、疲れを感じさせるどころか何とも楽しげでエネルギッシュ!フレーズ始めにパワーを集めて流れていく独特の奏法が彼の身体と一体となって、独自の語り口で聞き手を惹きつけ続ける。
78歳であることは全く感じない意欲に満ちたアプローチに、無事に再びリュビモフの生演奏に触れられたことを安堵し、心から嬉しく思う。(コロナ前に引退宣言をしていたのと、ウクライナ侵攻が始まってからモスクワでシルヴェストロフを弾いて警察沙汰になったことを危惧していたので)
曲目変更のあった後半、ブラームス後期作品op. 117と118はさすがにこの日の疲れが見え始めたのだが、二夜目の冒頭に弾かれたop. 116の素晴らしいこと!
一見乾きすぎると感じさせるその響きが内声の動きを際立たせ、全体のテクスチュアを見事に浮き上がらせる。雄弁に、そして繊細に、後期ブラームス特有の深淵な響きのグラデーションを実現する。
『我が友、シルヴェストロフに捧ぐ』と題されたこの夜のプログラムで弾かれたシルヴェストロフも、「あたかも音楽が聞き手の記憶に慎ましく触れ、内なる意識の中で鳴り響くように、そして聞き手の記憶そのものからこの音楽が歌われるかのように」という作曲者自身の指示通りに、我々の郷愁を潜在意識の領域から引き出していく。
アンコールで弾かれたアルヴォ・ペルトの小品を聴いて、かつてすみだトリフォニーホールの舞台上で聴いたロシア・アヴァンギャルドの夕べを思い出し、その再演も是非聴きたいと思った。
『三宅麻美 シューベルト・リサイタル』
2023年8月20日〔日〕14時開演
洗足学園音楽大学シルバーマウンテン
季節外れの生暖かい風雨の中、マリア・ジョアン・ピレシュのシューベルトを聴きにサントリーホールへ。今回は音楽というよりも、ピレシュという愛情溢れるひとりの人間に触れたいとの思いで、舞台後方席から聴いた。
A-Durソナタの出だしの何と美しいこと。
留学中から良く実演を聴いてきたが、いつからか小さくて細い身体を振り絞って腕を動かす打鍵が痛々しく感じて生を聴きたいと思わなくなっていたのだが、この日は弱打はもちろんのこと、強打するのにも意欲が漲っていて余計なものをようやく脱ぎ捨てたような、何か突き抜けた感じがした。奔放な語り口で始まったドビュッシー ベルガマスク組曲も特に第2、第4曲の舞曲のリズムが見事で、身体全体から躍動感が溢れていた。そして後半、遂に近々取り組もうと思っている長大なB-Durソナタも自然な呼吸感とともに脈々と流れて行き、あっという間に終楽章の愉悦に到達、このソナタをこんなに短く感じたことはなく、80歳近くになって演奏活動を再開した理由を存分に聴かせてくれた。
先日のアルゲリッチといい、人生何があろうとピアノを弾き続けること、音楽に向き合い続けることの意味を教えられたような気がする。
かなり遅くなりましたが、久々の美術館探訪録です。
ちょうど一ヶ月ほど前になるが、茨城県近代美術館の〝REIMS ランス美術館コレクション 風景画のはじまり〜コローから印象派へ〟展へ出掛けた。初めての水戸、駅から川沿いを散歩しながら15分ほどで湖畔に建つ美術館に着いた。
贅沢な空間遣いのロビー、幅広の階段をゆったりと上り展示室へ入ると、大好きなジャン=バティスト・カミーユ・コローのコレクションの豊富さにまず驚く。広い展示室すべてがコローの作品で飾られており、全部で16点もある。柔らかく、深みのある緑を使った樹木がメイン。水辺であることが多く、それに恩恵を受ける人々が数人描かれる。時刻や天気によって温度や湿度が違うように空も色味や透け感が様々で、光や明るさを感じさせる白色の扱い方が素晴らしい。
『岸辺の小舟に乗る漁師』では、明るい薄曇り空の下、小舟に座りながら網の作業をする漁師を、水辺にいる一頭の牛が後ろから優しい眼差しで見守っている。開けた視界と無数の白い点が春を表している。
『川を渡る』は遠くに入道雲がある夕暮れの空、対岸の古城が霞んで見えるように淡い茜色で描かれている。真夏の陽射しを避け、森の繁みに涼みにきた帰り道だと気付かされる。
次に展示されているバルビゾン派のドービニー、クールべ、アルピニーなどはより写実に近い。光線もくっきりとして時刻もピンポイントで狙ったかのような絵を観ると、なおさら先ほどのコローの空気感が特別のものとして感じられる。彼の絵の前ではいつも深い呼吸ができる。それこそがずっと観ていられる理由だと思う。
コローに“空の王者”と言わしめたウジェーヌ・ブーダンは、ノルマンディーの広く雲の多い空を巧みに描き分けている。『ベルク、船の帰還』では低いところに点在する暗い雲と、紫がかっている高く抜けた空の対比が見事で、遠くの白い明るみが、嵐の過ぎ去ったあとの安堵感を感じさせる。
と思いきや、ピエール=オーギュスト・ルノワールの描く『ノルマンディーの海景』はまったく別物。空は水色とラベンダーの2色だけで、海辺には明るい土の色にグレーや何色もの緑と赤が使われているのが印象的だった。
そして印象派のシスレー、ピサロ、モネへと続く。
アルフレッド・シスレーの絵にも良く感じることだが、光を感じられる鮮やかな色遣いと奥行きのある空間描写が見事で、自然とその場で空気を吸っているかのような錯覚に陥る。
クロード・モネに特徴的な無数の小さな筆跡は、細胞や肉片でもあり、吐息のようなものかもしれない。それは気迫とも意志とも捉えられるように、価値あるものとして存在している。様々な色を上から重ねていく独特な色彩感はまさに直感で成り立ち、それは美への好奇心や探究心からくるものなのだろう。
『べリールの岩礁』は元々この茨城県近代美術館が持っている『ポール=ドモワの洞窟』(同年に同じ場所で描かれたもの)とランス美術館が持っているものが並べて飾られた意欲的な企画展示で、写真もここだけはOK。ベリールとはブルターニュ地方の小島で、モネは2ヶ月近くそこに滞在して刻々と変化する手付かずの海岸を、同じ構図で何枚も描いたそうだ。荒波によって出来上がった断崖、切り立つ岩と青々とした海がダイナミックな風景を生み出しており、自然界の凄みを感じざるを得ない。積みわら、ルーアン大聖堂、睡蓮など連作を描くきっかけになったそうだ。
このご時世なかなか遠くへは行けず、マスクをしたままの生活に慣れすぎてしまったけれど、久しぶりに向こう(ヨーロッパ)の風を感じられた気がした。常設展もかなり見応えあり。