『ぶらあぼ』2014年7月号インタビュー記事

『ぶらあぼ』2014年7月号に「ショスタコーヴィチ・シリーズ Vol. 6」のインタビュー記事が掲載されました。

三宅麻美&アンドレイ・コロベイニコフ ピアノ・デュオ

文:笹田和人

4手連弾で聴くショスタコ・サウンド

東京芸大からベルリン芸大に学び、オーケストラとの共演や国際コンクールでの入賞など欧州での実績を重ねたピアノの三宅麻美。ベルリン芸大大学院を修了して帰国後も、精力的な活動を展開する彼女は、2006年の生誕100年を機に「ショスタコーヴィチ・シリーズをスタートさせた。これまでに5回を開催し、「ショスタコーヴィチの音が、血となり肉となった感覚がある」と振り返る。
今回はロシアの俊英ピアニスト、アンドレイ・コロベイニコフを迎えて。実は、2年も前から熱望し、ようやく共演が叶った三宅は「非常に嬉しく、興奮しています」。まずは、作曲家自身の編曲による4手連弾版の「交響曲第9番」を。「ピアニストにとって、加わりたくても不可能なオーケストラ作品を演奏できるのは、大きな喜び」と期待を膨らませる。そして、インパクトに満ちた「コンチェルティーノ」や、若き作曲家が急逝した父親への哀惜の気持ちを込めた「組曲 嬰へ短調」を2台ピアノで披露2人の名手による“音の会話を楽しみたい。

 

『音楽現代』2014年7月号

 

──今までのシリーズを振り返っての感想をお聞かせください。
三宅 これまで、ピアノ曲と室内楽を組み合わせたプログラムを5回組みましたが、ショスタコーヴィチ没後50年の2025年までは続けたいと思っており、大体のプランは頭の中に出来ています。前回のシリーズ第5回では荒井英治さんをお迎えし、これまでにない境地に連れて行っていただけた気がしました。5回を終えたことで、また2年前にはロシアのオーケストラとコンチェルト第1番を協演したことも大きいですが、ショスタコーヴィチの音が血となり肉となるといいますか、身体の一部になったような、そんな感覚があります。
──今回のピアノ・デュオについての経緯や期待などはいかがでしょう?
三宅 シリーズ第6回では、ずば抜けた能力を持った、素晴らしいロシアのピアニスト アンドレイ・コロベイニコフさんと共演できることになり、非常に嬉しく、興奮しています。彼は世界中での音楽活動の他にも法科大学で法律を学び、司法試験にまで合格していたり、詩も書く、エスペラント語も話すなど多才な方です。彼もショスタコーヴィチ好きでCDも出しており、2年前に交渉した際もすぐにやりたいと言ってくれていたのですが、なかなかタイミングが合わず、今回彼の来日中に急遽実現することになりました。
──プログラムの聴きどころとそれに対する想いを教えてください。
三宅 まず交響曲第9番の4手連弾版は、滅多に演奏されることのないものだと思いますので、貴重な機会です。発表された当時、周囲の期待をわざと裏切ったと問題になったこの交響曲は、軽快でシニカル、機知に富んだ作品で、当時公開の場でショスタコーヴィチとリヒテルのピアノでも演奏されたそうです。ピアニストにとって、加わりたくても不可能なオーケストラ作品を演奏できることは、大きな喜びです。そして2台ピアノのための組曲は、ショスタコーヴィチがまだ16歳の学生だった頃、急逝した父親への追悼の意を込めて作曲されました。比較的親しみやすい初期の作品なので、初めてショスタコーヴィチを聴く方にも楽しんでいただけることと思います。コンチェルティーノは中では
知られた曲ですが、交響曲第10番と同じ年に書かれた、インパクトと求心力のある名作です。素晴らしいピアニストをお迎えしてのデュオとなりますので、ぜひ多くの方にお聴きいただき、ショスタコーヴィチの世界を体感していただけたら嬉しいです。
曲目=ショスタコーヴィチ/交響曲第9番作品70(作曲者自身の編曲による4手連弾版)、2台のピアノのためのコンチェルティーノ作品94、2台のピアノのための組曲嬰へ短調作品6
7/10・19時、トッパンホール デュオジャパン

 

三宅麻美  ショスタコーヴィチ・シリーズ Vol. 5

三宅麻美  ショスタコーヴィチ・シリーズ Vol. 5

相貌の違いを堪能

ピアニスト三宅麻美が2006年からショスタコーヴィチ・シリーズを行い、ピアノ曲「24の前奏曲とフーガ」をはじめ、室内楽曲や歌曲のジャンルにまで踏み込んだ意欲的な演奏を聴かせてきた。シリーズ最終回で組んだプログラムは、10代、20代に作曲されたピアノ独奏曲と晩年の「ヴァイオリン・ソナタ」。出発・終盤両地点で見せる(聴かせる)作曲家の相貌の違いを目の当たりで堪能する刺激的なコンサートとなった。
まるでしゃれた前菜を供するように小気味よく聴かせた「三つの幻想的舞曲」。10代半ばにして才気煥発[さいきかんぱつ]、モダンな感覚にあふれたこの小品や、つづいて演奏された20代の曲「24の前奏曲」からは、後の作品に見られるような屈折した韜晦[とうかい]はまだ聴こえてこない。順風満帆とまではいかないが、作曲人生を歩み始めた若いショスタコーヴィチのみずみずしい息吹が、音やリズムの個性的表情から生き生きと聴こえてくる。各曲の性格的な特色をつかんだ演奏がその変幻多彩な面白さをよく引き出して、聴く者を飽きさせない。
一方、作曲家の多事多難な人生が深く刻印されているかのごとき「ヴァイオリン・ソナタ」は、「前奏曲」と同じようには聴けない。レクイエムとも葬送の音楽とも聴こえるこの作品で、作曲者が自分の死について考えていたことは間違いないだろう。ゆるやかなテンポで静謐[せいひつ]な緊張感がつづく両端楽章にはさまれた激烈なスケルツォ楽章は、あたかもディエス・イレ(怒りの日=レクイエムの重要部分)のごとし。うってつけの共演者・荒井英治の渾身[こんしん]の演奏と掛け合わされた迫真のデュオは聴き応え十分。シリーズのとどめにふさわしい快演となった。
(池田逸子・音楽評論家)
5月23日、東京・王子ホール

 

NHK FM『名曲リサイタル』出演

2008年11月8日(土)  NHK FM『名曲リサイタル』出演

「巡礼の年」第3年から「エステ荘の噴水」 (リスト)

3つの幻想的な舞曲 ト調 (ショスタコーヴィチ)

5つの前奏曲 (ショスタコーヴィチ)

「24の前奏曲とフーガ」作品87から第24曲 ニ短調 (ショスタコーヴィチ)

CD『24の前奏曲とフーガ』の批評が公明新聞に

CD『24の前奏曲とフーガ』の批評が2008年3月16日の公明新聞に載りました

◆スターリン体制下の熾烈[しれつ]な芸術批判地獄を果敢に生きぬいたしたたかな作曲家、というイメージもあれば、交響曲第5番の闘争と勝利のテーマでもお馴染みのショスタコーヴィチだが、彼にはピアノ音楽作曲家としてのもうひとつの顔もあった。それに光を当てたのが、生誕100年にあたる2006年に日本の若手、三宅麻美の開いた意欲あふれるリサイタル・シリーズだった。彼女はショスタコーヴィチがバッハのひそみにならって書いた彼のピアノ音楽の集大成に挑み、おそらく日本人初の全曲公開演奏を達成したのだ。この『24の前奏曲とフーガ』(Regulus RGCD-1018 3枚組5250円)は翌年にセッションで録音された労作。音のみずみずしさと粒立ちのよさが、一見難解そうなこの作品への耳を、やさしく開いてくれる。録音も秀逸。
(音楽ジャーナリスト・萩谷由喜子)

『音楽現代』2006年7月号 ショスタコーヴィチ特集「エッセイ」

『音楽現代』2006年7月号 ショスタコーヴィチ特集
〈エッセイ〉「ショスタコーヴィチへの手紙」〝あなたの曲によって、演奏家への道を開いてもらったのです〟
●三宅麻美(ピアニスト)

親愛なるDSCHさま

記念すべき生誕100周年、本当におめでとうございます。あなたがこの世に生まれてからちょうど100年の節目を迎えるとは本当に感慨深いものです。ようやくあなたの作品が正当に評価される時代になり、またこの年をきっかけにしてあなたの多くの作品が世界中で演奏されていることを何より嬉しく思います。私も、昨年ロシアのクリスマスの時期にあなたの眠るノヴォデヴィチのお墓でお話した通り、自分に出来る限りの企画を考えて今、実行中です。聴いていただいていますでしょうか?
思えば、ベルリン芸大の卒業試験で弾く現代曲として、あなたのDes-Durの前奏曲とフーガを選んだのがきっかけでした。その頃ロシアのピアニズムに魅せられていた私は、リヒテルの弾くこの曲を聴き、これが弾けたらさぞカッコいいだろうと、調性があるのをいいことに安易な気持ちで取り掛かってはみたものの、はじめはフーガの不協和音の連続に頭を抱え、どうにかして覚えようと必死に頭に叩き込みました。でも不思議と、あなたの書く音やリズムは、手についてくるとその音を弾くのが楽しくて、それ以外の音は弾けなくなるのです。そしてこの曲をマスターして様々な機会に披露していったことで、それまで経験したことがなかった程の、演奏家としての存在感を感じ、自信を得ることができました。まさにあなたの曲によって、演奏家への道を開いてもらったのです。
さらに、他の前奏曲とフーガをひとつひとつ勉強して、あなたの、どうにもなすすべがない心の葛藤や苦しみからくる魂の叫びをまさに体で感じて、惹かれていったのです。あなたの音楽は、苦しみ、恐怖に怯えるときでも実に雄弁で、小品や歌曲の一つをとってもどれも明確な意志を持ち、生命力に満ち溢れています。私は高度成長後の日本で生まれ、平和な時代に育ち、あなたが受けたような精神的な苦痛を実際には味わったことはありませんが、あなたの曲を弾くことでその苦しさを自分のものとして体感できている気がします。どういうわけかわからないのですが、自然に入り込み、悩むことも恥じることもなく表現できるのです。そして、その感情をどうしても人々に伝えていきたい、と私なりに思うようになりました。ちょうどその頃、やはりあなたを心から敬愛する私のピアノの恩師、ポリス・ペトルシャンスキー先生と出会いました。心から信頼でき、また私のことを我が事のように思ってくれる師匠を持つことはなんと心強いことでしょう。すべては偶然ではないと、あなたの作品への執着がさらに強いものとなりました。
あなたは作品の中にすべてを残しています。家族にも友人にも言えなかったこと全てを。どんな状況にあっても、抑圧され、批判にさらされて真っ裸になったときでもむしろそれをバネにして、屈することなく創作をつづけた、そのあなたの力強い精神力、責任感が私たちに生きる力と勇気を与えてくれます。あなたは、時代があなたに与えた仕事を、ずば抜けたその音楽的才能をもって常に真剣に、本当に律儀にこなしながら、限りないメッセージを作品に込めました。それは、あなたにしか成し得なかったこと。たとえ体制の監視下にあってもその状況のなかで書き統けることで最大の抵抗をし、書くことで〝人間として生きる権利〟という正義を証明したのです。中にはあなたのことを、公と私の立場をうまく使い分ける二面性をもつ、したたかな人物だという人もいますが、私はそうは思いません。様々な状況におかれて、そこであなたは常に自分に正直に、出来る限りのことをしたまでであって、音楽を愛するのと同じように、人間を、そして民衆を愛していました。自分もその民衆の一人だということを十分認識しながら、民衆のための芸術を創ったのです。
21世紀になった今でも戦争・紛争や独裁政治、差別・権力社会は続いています。この〝今〟こそ、あなたの作品は世の中のすべての人に聴いてもらうべきなのです。あなたの音楽を通して、私たちは世の中をより良い方向へと導き、変えていかなければならないと強く感じています。世の中に、また人間ひとりひとりの中にひそんでいる悪と闘っていくために、そして人間が人間らしく生きるために絶対に必要な〝芸術〟の真価を今一度確かめて、伝えていくために、今ほどあなたの力が必要な時はないのです。
これからも、微力ながらあなたの作品を弾き統け、作品に命を吹き込んでいきたいと思っています。どうぞ今後とも見守ってくださいますよう…

最大の敬意と心からの感謝を込めて