『音楽現代』2006年7月号 ショスタコーヴィチ特集「エッセイ」

『音楽現代』2006年7月号 ショスタコーヴィチ特集
〈エッセイ〉「ショスタコーヴィチへの手紙」〝あなたの曲によって、演奏家への道を開いてもらったのです〟
●三宅麻美(ピアニスト)

親愛なるDSCHさま

記念すべき生誕100周年、本当におめでとうございます。あなたがこの世に生まれてからちょうど100年の節目を迎えるとは本当に感慨深いものです。ようやくあなたの作品が正当に評価される時代になり、またこの年をきっかけにしてあなたの多くの作品が世界中で演奏されていることを何より嬉しく思います。私も、昨年ロシアのクリスマスの時期にあなたの眠るノヴォデヴィチのお墓でお話した通り、自分に出来る限りの企画を考えて今、実行中です。聴いていただいていますでしょうか?
思えば、ベルリン芸大の卒業試験で弾く現代曲として、あなたのDes-Durの前奏曲とフーガを選んだのがきっかけでした。その頃ロシアのピアニズムに魅せられていた私は、リヒテルの弾くこの曲を聴き、これが弾けたらさぞカッコいいだろうと、調性があるのをいいことに安易な気持ちで取り掛かってはみたものの、はじめはフーガの不協和音の連続に頭を抱え、どうにかして覚えようと必死に頭に叩き込みました。でも不思議と、あなたの書く音やリズムは、手についてくるとその音を弾くのが楽しくて、それ以外の音は弾けなくなるのです。そしてこの曲をマスターして様々な機会に披露していったことで、それまで経験したことがなかった程の、演奏家としての存在感を感じ、自信を得ることができました。まさにあなたの曲によって、演奏家への道を開いてもらったのです。
さらに、他の前奏曲とフーガをひとつひとつ勉強して、あなたの、どうにもなすすべがない心の葛藤や苦しみからくる魂の叫びをまさに体で感じて、惹かれていったのです。あなたの音楽は、苦しみ、恐怖に怯えるときでも実に雄弁で、小品や歌曲の一つをとってもどれも明確な意志を持ち、生命力に満ち溢れています。私は高度成長後の日本で生まれ、平和な時代に育ち、あなたが受けたような精神的な苦痛を実際には味わったことはありませんが、あなたの曲を弾くことでその苦しさを自分のものとして体感できている気がします。どういうわけかわからないのですが、自然に入り込み、悩むことも恥じることもなく表現できるのです。そして、その感情をどうしても人々に伝えていきたい、と私なりに思うようになりました。ちょうどその頃、やはりあなたを心から敬愛する私のピアノの恩師、ポリス・ペトルシャンスキー先生と出会いました。心から信頼でき、また私のことを我が事のように思ってくれる師匠を持つことはなんと心強いことでしょう。すべては偶然ではないと、あなたの作品への執着がさらに強いものとなりました。
あなたは作品の中にすべてを残しています。家族にも友人にも言えなかったこと全てを。どんな状況にあっても、抑圧され、批判にさらされて真っ裸になったときでもむしろそれをバネにして、屈することなく創作をつづけた、そのあなたの力強い精神力、責任感が私たちに生きる力と勇気を与えてくれます。あなたは、時代があなたに与えた仕事を、ずば抜けたその音楽的才能をもって常に真剣に、本当に律儀にこなしながら、限りないメッセージを作品に込めました。それは、あなたにしか成し得なかったこと。たとえ体制の監視下にあってもその状況のなかで書き統けることで最大の抵抗をし、書くことで〝人間として生きる権利〟という正義を証明したのです。中にはあなたのことを、公と私の立場をうまく使い分ける二面性をもつ、したたかな人物だという人もいますが、私はそうは思いません。様々な状況におかれて、そこであなたは常に自分に正直に、出来る限りのことをしたまでであって、音楽を愛するのと同じように、人間を、そして民衆を愛していました。自分もその民衆の一人だということを十分認識しながら、民衆のための芸術を創ったのです。
21世紀になった今でも戦争・紛争や独裁政治、差別・権力社会は続いています。この〝今〟こそ、あなたの作品は世の中のすべての人に聴いてもらうべきなのです。あなたの音楽を通して、私たちは世の中をより良い方向へと導き、変えていかなければならないと強く感じています。世の中に、また人間ひとりひとりの中にひそんでいる悪と闘っていくために、そして人間が人間らしく生きるために絶対に必要な〝芸術〟の真価を今一度確かめて、伝えていくために、今ほどあなたの力が必要な時はないのです。
これからも、微力ながらあなたの作品を弾き統け、作品に命を吹き込んでいきたいと思っています。どうぞ今後とも見守ってくださいますよう…

最大の敬意と心からの感謝を込めて