【コンサート覚書き】ブルガリアンヴォイス・アンジェリテ

年末からこじらせた風邪がようやく治ってきたので、楽しみにしていた公演へ思い切って出掛けた。

ブルガリアンヴォイス・アンジェリテ@武蔵野市民文化会館
Bulgarian Voices Angelite

20人のアカペラ女性合唱。ブルガリアの地方に伝承する民謡から、民謡を基にした現代風な合唱曲まで、地声に近い独特な発声とハーモニーで観客を魅了する。流れ星は良いことだけでなく不吉なことの前兆でもあると歌うものや、唐辛子の植え方、花の咲かせ方、実の付け方を教えてくれる歌もある。一人一人違うデザインの色鮮やかな民族衣装もまた手が込んでいて、非常に魅力的。もう少し狭いホールだったらさらに迫力も感じられただろうと思うが、20年振りの来日で3公演のみとのことなので仕方ない。曲によっては4人だけで歌うのだが、親子ほどの年齢が離れているように見受けられるメンバーが声色を揃えて歌い、こうやって次世代へ伝承されていくのだろうなと感じました。

〔facebookパーソナルページより転載〕

【コンサート覚書き】ポゴレリッチ、ゲルネ、プレトニョフ

この4日間で3回もサントリーホールへ通ったので、備忘録として。

◆10/20 ポゴレリッチのピアノリサイタル
Ivo Pogorelich Piano Recital

クレメンティの落ち着いたテンポの中での軽さ、ショパン バラード3番の奥行きと煌めきは流石だったが、主としてテンポが遅く、左手の強拍にやたらと意識を向けたハイドン、ベートーヴェンや、とてもピアノの音とは思えない爆音続きのリストエチュードやラヴァルスには、聴いている方が疲れ果てて体力を奪われ消耗する。これを本人は超真顔で弾いていることを考えると、もっと年老いて彼の体力が衰えた頃になってからまた聴いてみたいと思うのだった。

ちなみに当日は彼の59歳の誕生日で、会場全員で歌のサプライズが仕組まれた。

◆10/22 マティアス・ゲルネの冬の旅
Matthias Gerne Winterreise 

つい先日同ホールでリサイタルを行った93歳のメナハム・プレスラーも聴きに来ていた公演。本来、クリストフ・エッシェンバッハが伴奏を務めるはずが、残念ながら手の故障で代役のマルクス・ヒンターホイザーに。

やはりゲルネは声が素晴らしく、それぞれの場面を巧妙に描写した声色の変化が非常にドラマティック。伴奏のヒンターホイザーもその声色を壊さないように奥へ奥へと入って行く。

ただ、響き重視の歌い方なのでドイツ語の律動はあまり感じられない。ドイツ人が歌っているにもかかわらず、ドイツリートとしての説得力に少々欠けているように感じたのは、以前聴いた時と同じだった。そういう意味ではシューベルトより、シューマンの方が彼に合っているかもしれない。

曲間の運び、頂点の定め方など曲集としての総合的な捉え方に、ザルツブルク音楽祭音楽監督でもあり多くのプロジェクトを手掛けるヒンターホイザーの手腕が見事に振るわれていた。

◆10/23 東フィル&プレトニョフ
Mikhail Pletnev&Tokyo Philharmonic Orchestra

グリンカのカマリンスカヤで楽しく始まり、ボロディンやリャードフの交響詩、そして後半はリムスキー=コルサコフのオペラ組曲を3つという珍しいプログラム。

整然とした指揮のせいかやや大人しく、もしこれがロシアのオケなら…と思うところもあったが、弦もそれぞれのセクションにまとまりがあり、管楽器の聴かせどころが随所に散りばめられ(特にクラリネットとトランペット)、細部まで見事な情景描写や場面の移ろいに素直に身を委ねて聴いた。

舞台の後方席だったので、終始ご機嫌なプレトニョフの表情が良くわかり、ロシア国民楽派の色彩やリズムに自らも楽しみながらの指揮振りだった。

〔facebookパーソナルページより転載〕

【アート覚書き】ミュシャ『スラヴ叙事詩』

昨日、念願のミュシャの展覧会に出掛けました!

The year of Czech culture 2017
Alfons Mucha @ the National Art Center, Tokyo

チェコ語ではムハと発音するミュシャの展示はこれまでに何度か観たが、ポスターやカタログの表紙など、絵画というよりイラストデザインの印象が強く、はっきり言ってジッと観入るような絵には出会わなかった。だが、今回は違った。

『スラヴ叙事詩』
The Slav Epic/Slovanská epopej

パリやアメリカで活躍していたミュシャが50歳で故郷に戻り、晩年の16年を費やし、チェコの全国民に捧げた作品で、スラヴ民族にまつわる神話や歴史を題材にした、20点からなる大作。

話には聞いていたものの、展示室に入ってまずその大きさに驚く。絵というより巨大なタペストリーのようで、一枚というより壁一面という感じ。
そしてその絵を眼の前にすると、暖色も寒色も薄いヴェールを一枚まとったかのように統一された独自な色彩と、画面のどこを切り取っても完璧に描かれた筆の緻密さと、画面全体から放たれる画家の壮大な思想に圧倒され、身震いする。

スラヴの原故郷が描かれた1枚目には神話の青色が用いられ、満点の星に包まれながら、他民族の争いには加わらず、草むらに潜むスラヴ民族の原点を見る。
ちょうど私達の目線上になるように、等身大に描かれた人物のおびえた表情は、行き場のない悲しみや戸惑いと、それでも必死に耐え抜いていく芯の強さを物語っている。

スラヴの栄光が廃れていく様子を描いた2枚目の祭りの絵では、基調の色として敗北の白が使われている。
全ての絵において共通するのが、題材そのものより、その場で抱かれる民衆の感情に焦点を当てて描かれていることなので、必然的にひとりひとりの表情に目が行く。哀れな楽士や彫刻師 、それを慰める文芸の女神など、画家が模索していたであろう芸術の意義も垣間見える。

そして細部に至る描写の仕上がりが凄い。民族衣装、身に付ける装飾品、髪飾りの花々、植物、草むらや麦わらの一本までが丹精に描かれる。それまでに積み重ねたミュシャ芸術が活かされて、まさに集大成となっている。

他にギリシャ正教にスラヴ式典礼を導入した場面や、スラヴ文学の礎を築いたブルガリア皇帝、スラヴ民族の統一として描いたボヘミア王族とハンガリー王族の婚礼、スラヴ人皇帝の誕生など、その都度、民衆の想いに共感し、まるで自分もスラヴ人になったかのような感覚になる。

その感覚こそ、芸術の意義だと思うと同時に、全てを注いで作品を完成させたミュシャという一人の人間の持つ力に驚嘆する。
帰り道、魂を揺さぶられるスラヴの音楽を目一杯聴きたく、そして弾きたくなった。

来月8日までの開催です。
まだの方は是非観てください!

〔facebookパーソナルページより転載〕