Mami Miyake - Pianist

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三宅麻美アート覚書き

【コンサート覚書き】生徒のご褒美コンチェルトwith 神奈川フィル

2023年10月1日 by admin

生徒のご褒美コンチェルトwith 神奈川フィルを聴きに県立音楽堂へ。

いつも本選の審査で慣れ親しんでいるこの木のホールでオケを聴くのはいつ以来だろう? ひょっとして自分が芸大1年時に弾かせてもらった同じご褒美コンチェルト以来なのではないか? あの時もやたらと打楽器が大きく聞こえて驚いた記憶があるな〜、と懐かしく思い出しながら聴いていた。

生徒はオケ合わせの難しい曲を頑張って弾ききってやれやれでしたが、課題がてんこ盛りなのがあらためて確認できて、仕事の合間を縫って行って良かったとつくづく思う10月初日でした。

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【コンサート覚書き】アレクセイ・リュビモフ ピアノリサイタル

2023年4月26日 by admin

@五反田文化センター音楽ホール
Alexey Lubimov Piano Recitals

先週と今週、二週にわたってアレクセイ・リュビモフのリサイタルへ。

一夜目はなんとご本人、PCR証明の関係で台湾からの予定の飛行機に乗れず、開演時刻になってもまだ到着してないとのことで、20分も遅れて始まった。空港から到着してリハもなしにすぐに舞台へ出たのにも関わらず、第一音から美しすぎる音像を紡ぎ出し、ウクライナの作曲家ヴァレンティン・シルヴェストロフの世界へグイグイと引き込んでいく。

次のモーツァルトソナタK533も、疲れを感じさせるどころか何とも楽しげでエネルギッシュ!フレーズ始めにパワーを集めて流れていく独特の奏法が彼の身体と一体となって、独自の語り口で聞き手を惹きつけ続ける。

78歳であることは全く感じない意欲に満ちたアプローチに、無事に再びリュビモフの生演奏に触れられたことを安堵し、心から嬉しく思う。(コロナ前に引退宣言をしていたのと、ウクライナ侵攻が始まってからモスクワでシルヴェストロフを弾いて警察沙汰になったことを危惧していたので)
曲目変更のあった後半、ブラームス後期作品op. 117と118はさすがにこの日の疲れが見え始めたのだが、二夜目の冒頭に弾かれたop. 116の素晴らしいこと!

一見乾きすぎると感じさせるその響きが内声の動きを際立たせ、全体のテクスチュアを見事に浮き上がらせる。雄弁に、そして繊細に、後期ブラームス特有の深淵な響きのグラデーションを実現する。

『我が友、シルヴェストロフに捧ぐ』と題されたこの夜のプログラムで弾かれたシルヴェストロフも、「あたかも音楽が聞き手の記憶に慎ましく触れ、内なる意識の中で鳴り響くように、そして聞き手の記憶そのものからこの音楽が歌われるかのように」という作曲者自身の指示通りに、我々の郷愁を潜在意識の領域から引き出していく。

アンコールで弾かれたアルヴォ・ペルトの小品を聴いて、かつてすみだトリフォニーホールの舞台上で聴いたロシア・アヴァンギャルドの夕べを思い出し、その再演も是非聴きたいと思った。

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【コンサート覚書き】マリア・ジョアン・ピレシュ・ピアノ・リサイタル

2023年1月10日 by admin

季節外れの生暖かい風雨の中、マリア・ジョアン・ピレシュのシューベルトを聴きにサントリーホールへ。今回は音楽というよりも、ピレシュという愛情溢れるひとりの人間に触れたいとの思いで、舞台後方席から聴いた。

A-Durソナタの出だしの何と美しいこと。

留学中から良く実演を聴いてきたが、いつからか小さくて細い身体を振り絞って腕を動かす打鍵が痛々しく感じて生を聴きたいと思わなくなっていたのだが、この日は弱打はもちろんのこと、強打するのにも意欲が漲っていて余計なものをようやく脱ぎ捨てたような、何か突き抜けた感じがした。奔放な語り口で始まったドビュッシー ベルガマスク組曲も特に第2、第4曲の舞曲のリズムが見事で、身体全体から躍動感が溢れていた。そして後半、遂に近々取り組もうと思っている長大なB-Durソナタも自然な呼吸感とともに脈々と流れて行き、あっという間に終楽章の愉悦に到達、このソナタをこんなに短く感じたことはなく、80歳近くになって演奏活動を再開した理由を存分に聴かせてくれた。

先日のアルゲリッチといい、人生何があろうとピアノを弾き続けること、音楽に向き合い続けることの意味を教えられたような気がする。

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【アート覚書き】REIMS ランス美術館コレクション 風景画のはじまり

2022年4月14日 by admin

かなり遅くなりましたが、久々の美術館探訪録です。

ちょうど一ヶ月ほど前になるが、茨城県近代美術館の〝REIMS ランス美術館コレクション 風景画のはじまり〜コローから印象派へ〟展へ出掛けた。初めての水戸、駅から川沿いを散歩しながら15分ほどで湖畔に建つ美術館に着いた。

贅沢な空間遣いのロビー、幅広の階段をゆったりと上り展示室へ入ると、大好きなジャン=バティスト・カミーユ・コローのコレクションの豊富さにまず驚く。広い展示室すべてがコローの作品で飾られており、全部で16点もある。柔らかく、深みのある緑を使った樹木がメイン。水辺であることが多く、それに恩恵を受ける人々が数人描かれる。時刻や天気によって温度や湿度が違うように空も色味や透け感が様々で、光や明るさを感じさせる白色の扱い方が素晴らしい。

『岸辺の小舟に乗る漁師』では、明るい薄曇り空の下、小舟に座りながら網の作業をする漁師を、水辺にいる一頭の牛が後ろから優しい眼差しで見守っている。開けた視界と無数の白い点が春を表している。

『川を渡る』は遠くに入道雲がある夕暮れの空、対岸の古城が霞んで見えるように淡い茜色で描かれている。真夏の陽射しを避け、森の繁みに涼みにきた帰り道だと気付かされる。

次に展示されているバルビゾン派のドービニー、クールべ、アルピニーなどはより写実に近い。光線もくっきりとして時刻もピンポイントで狙ったかのような絵を観ると、なおさら先ほどのコローの空気感が特別のものとして感じられる。彼の絵の前ではいつも深い呼吸ができる。それこそがずっと観ていられる理由だと思う。

コローに“空の王者”と言わしめたウジェーヌ・ブーダンは、ノルマンディーの広く雲の多い空を巧みに描き分けている。『ベルク、船の帰還』では低いところに点在する暗い雲と、紫がかっている高く抜けた空の対比が見事で、遠くの白い明るみが、嵐の過ぎ去ったあとの安堵感を感じさせる。

と思いきや、ピエール=オーギュスト・ルノワールの描く『ノルマンディーの海景』はまったく別物。空は水色とラベンダーの2色だけで、海辺には明るい土の色にグレーや何色もの緑と赤が使われているのが印象的だった。

そして印象派のシスレー、ピサロ、モネへと続く。

アルフレッド・シスレーの絵にも良く感じることだが、光を感じられる鮮やかな色遣いと奥行きのある空間描写が見事で、自然とその場で空気を吸っているかのような錯覚に陥る。

クロード・モネに特徴的な無数の小さな筆跡は、細胞や肉片でもあり、吐息のようなものかもしれない。それは気迫とも意志とも捉えられるように、価値あるものとして存在している。様々な色を上から重ねていく独特な色彩感はまさに直感で成り立ち、それは美への好奇心や探究心からくるものなのだろう。

『べリールの岩礁』は元々この茨城県近代美術館が持っている『ポール=ドモワの洞窟』(同年に同じ場所で描かれたもの)とランス美術館が持っているものが並べて飾られた意欲的な企画展示で、写真もここだけはOK。ベリールとはブルターニュ地方の小島で、モネは2ヶ月近くそこに滞在して刻々と変化する手付かずの海岸を、同じ構図で何枚も描いたそうだ。荒波によって出来上がった断崖、切り立つ岩と青々とした海がダイナミックな風景を生み出しており、自然界の凄みを感じざるを得ない。積みわら、ルーアン大聖堂、睡蓮など連作を描くきっかけになったそうだ。

このご時世なかなか遠くへは行けず、マスクをしたままの生活に慣れすぎてしまったけれど、久しぶりに向こう(ヨーロッパ)の風を感じられた気がした。常設展もかなり見応えあり。

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〔facebookパーソナルページより転載〕

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【アート覚書き】渡辺省亭〜欧米を魅了した花鳥画〜展

2021年9月7日 by admin

 このご時世でアート鑑賞もとんとご無沙汰している。それでも昨年末から春にかけては 琳派と印象派展@アーチゾン美術館(旧ブリヂストン美術館)、田中一村展@千葉市美術館、山陰に足を延ばした際に、島根県立美術館や足立美術館にも訪れて英気をいただいたが、先日は束の間の夏休みに三島にある佐野美術館に、渡辺省亭展を観に出掛けた。今春、藝大美術館で開催のはずが緊急事態宣言のため会期途中で中止となり、とても残念に思っていたところ、岡崎と三島に巡回することを知り、是非にと友人に車をお願いしていた。

 渡辺省亭は明治から大正を生きた日本画家で、欧米での評価は高いものの国内ではまだあまり知られておらず、今回が初めての回顧展だそう。28歳の時に日本画家として初めてパリを訪れ、見事な筆捌きでマネやドガなどの印象派の画家に影響を与えたと言われている。5歳で絵の楽しみを覚え、浮世絵の模写をしたのち書を徹底的に3年間学び、そのあとに人物画を描き、そして真骨頂である花鳥画を描いていく。68歳で亡くなるまで生涯弟子を取らず、自分を売り込むことも嫌い、黙々と注文を受けた作品をこなしていたようだ。一昨年あたりだったか、赤坂・迎賓館の内部公開を観たときに、豪華絢爛な広間の壁にいくつもの花と鳥の図柄の七宝が飾られていたのだが、その元絵を描いたのが省亭だった。

 さほど広くない展示室に足を踏み入れるとまず、チラシにも使われている『牡丹に蝶の図』がある。縦に一本伸びる添え木を巧く構図に取り入れ、枠の線を描かずに水彩のグラデーションで花びらの色と重なり合う質感を表現する。奥に朽ち行く花を描くことで、手前の紅白の牡丹の彩りがより一層感じられる。風に散りながらおしべがはらはらと地に落ちるさまをも描き、旬を迎えて咲き誇る花との対照を描く。蜜を吸うクロアゲハと遠くのモンシロチョウ、この絵では蝶よりも花の生命力が優っている。

 その近くには『春野鳩之図』。春の野辺の草花たちを鳩の周りに散りばめ、枝垂れ桜と綿毛のタンポポ、そしてツクシの縦のラインを韻を踏むように生かしつつ、主役の鳩に目を向けさせる。三羽の鳩はそれぞれ色合いと体の向きが違うのだが、驚くのは良く見ると三羽とも口角が上がっていること。観ている側を自然と和やかな表情にさせる。

 その隣の『雨中桜花つばめ図』もまた風情がある。花盛りの桜の木で燕三羽が雨宿りしているのだが、春雨の寒さに毛をふくらませた燕の体が印象的で、三羽の中でも後ろ姿の燕を最前に描くことで、その場の温度や寂しさまで漂わせている。

 『月夜杉木菟之図』は、背後にそびえる大きな幹の木を見るからには、そのミミズク(トラフズク)まではかなりの距離があると思われるのだが、かなり大きな尺で描かれており、その存在感には目を見張る。思わずドイツ留学中に森の中で見たミミズクを思い出した。(かなり遠くにいるのにもかかわらず、目が合った瞬間嬉しいのと同時にドキッとした…)絵具を幾重にも薄く塗り重ねて実現した羽の色味や質感はまさに3Dのようにリアルで、その観察眼には恐れ入ってしまう。

 63歳で描いた『猛虎の図』は、ずっしりと風格のある虎に今現在の自分を重ね、左上を見上げる凛とした眼差しに、未だ筆を持ち続けて自身の境地を開いていこうとする志が感じられた。

 そして展示の最後には、数ヶ月前に所在が明らかになり今回急遽追加で展示された『春の野辺』。これは1918年に描かれ、蝶の彩色のみを残して絶筆となった作品。蓮華草の小さな花びらや細い葉の一枚一枚をこれまでよりも色濃く描き、その筆運びに一呼吸一呼吸を合わせて描かれたかのような凝縮感に胸を打たれた。

 鑑賞後は美術館の敷地にある日本庭園を歩き、近くの柿田川公園で水を汲み、名物の鰻をいただいて帰りました。

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〔facebookパーソナルページより転載〕

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【アート覚書き】永青文庫名品展

2020年11月20日 by admin

コロナ禍のせいもあってずっと叶わなかった美術観賞。本番からも解放されてようやく足を運ぶことができました(といってももう2週間前のことです)。

記念展示を開催していた永青文庫に初めて訪れたので、備忘録として…

副都心線雑司ヶ谷駅から都バスに乗り、3つ先の停留所、目白台三丁目で降りる。閑静な住宅街、木々に囲まれひっそりと佇む永青文庫は、肥後熊本五十四万石の細川家に代々伝わる文化財を保存し、研究・一般公開のために、16代細川護立が立ち上げたもの。神田川沿いまで斜面を利用して広大な庭園も隣接している。

今回の展示のお目当ては菱田春草(1874〜1911)の2枚の日本画。

まず、1909年に描かれた『落葉』は全部で12枚の屏風絵。日本画において、それまでのように線を使わずに描く「無線描法」ながら、いやそれゆえに木肌の立体感をここまで表現できることに驚かされる。葉元から葉先へ薄緑から色あせた黄土色、そして焦げ茶へと変化していく、枯れゆく落葉の時の移ろいと生の名残。枯れる様すら美しく、愛おしく描く。腎臓から来る目の病に侵されながら、虫食いの形や葉の反りなど、落ち葉一枚一枚に愛情を注ぐ。地面に描かれた四十雀のつがいはどんな状況でも命はたゆまず続いて行くたくましさをあらわし、細枝に留まり、さりげなく佇む色鮮やかなジョウビタキを描くことで、朽ちてゆく落葉の侘しさがより伝わってくる。常緑樹の松の緑の濃さは、色というより塗りの濃さとも言え、筆使いに生への執着が感じられる。画面の奥には、幻想的でありながら凛とした存在感を感じさせる木々等、いくら見ていても飽きない。

そして、何年前だろうか、近代美術館での菱田春草展以来の再会となる『黒き猫』。『落葉』を描いた翌年、死の前年に書かれた猫の絵。視線はまず黒猫に注がれ、その歌舞伎役者のような鋭い眼差しや、左右に開いた両耳から、猫自身の緊張感を感じとることができる。そして背景や木肌との輪郭のぼかしで巧みに表現したフォルムや、指先の丸みのやわらかな質感に触れる。猫の上に目を向けると、描かれた柏の葉の形の良さに魅了される。どの葉も表を向いているのに、その照らし方や微妙な大きさの差異、虫食いの形などの変化に趣を感じる。そして全体を観ると、深い茶緑と金色、猫の黒のコントラストが見事に一枚に収まっている。

横山大観の作品も多かったが、なぜかいつもあまり惹かれない。竹内栖鳳の描いた猿の掛け軸は、開いた両腕とその表情がなんとも言えない脱力感を与えてくれて微笑ましく、彼の生き物に対する審美眼をあらためて感じさせてくれた。他に国宝の日本刀や重要文化財の仏像、陶器など所狭しと展示されていた。

観賞後は、秋晴れの庭園をのんびり散策して、神田川沿いを江戸川橋まで歩いて帰路につきました。

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〔facebookパーソナルページより転載〕

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【コンサート覚書き】エサ=ペッカ・サロネン指揮 フィルハーモニア管弦楽団

2020年2月2日 by admin
Esa-Pekka Salonen

Philharmonia Orchestra @Tokyo Bunka Kaikan

Program
Stravinsky Le Sacre du printemps
Stravinsky L’Oiseau de feu

ベルリン留学時代、様々な指揮者がベルリン・フィルを振るのを聴いたが、当時の常任指揮者だったクラウディオ・アバドよりも、先日亡くなったマリス・ヤンソンス、ベルナルト・ハイティンク、ギュンター・ヴァントなど客演指揮者の方が印象に残る演奏が多く、なかでも脳裏に焼き付いているのがクルト・ザンデルリンクのショスタコーヴィチ交響曲第15番とサロネンの火の鳥だった。
ロンドンを拠点とするフィルハーモニア管弦楽団とは30年以上の付き合いで、首席を務めるのは今シーズン限りとのこと。しかもストラヴィンスキー・プログラム。集大成の演奏が聴けるのを楽しみに出掛けた。

サロネンの切れ味は健在で、《春の祭典》は文化会館の残響が曲にちょうど良く、低弦のゴリゴリとした音や、総管楽器群の華々しい音が直に聞こえ、オーケストラの一体感が素晴らしい。団員もサロネンを信頼し、サロネンも団員を信頼し切っていて、縛りすぎずかつ、勢い良く統率していく。
久々に大編成のオーケストラ(打楽器セクションに6人いるだけでワクワクする)のドライブ感を味わい、ゾクッと鳥肌が立った。

後半の《火の鳥》も絶妙なテンポ感と間合い、色彩、曲の核心を捉えた構築性で、ドラマティックに展開し、思わずその場面が目に浮かんでくる。弦楽器には最弱音を要求し、トランペットにはミュートを装着した上にさらに音量を絞り込むよう指示する。サロネンのタイトでスマートな指揮振りを再び体験し、最後はまるでサロネン自身がオーケストラに魔法をかける火の鳥のように見えてきた。

アンコールのマメールロワ終曲がまた、冒頭のテンポ感といい、選曲といい、感動的だった。
作曲家としての顔を持ち、その視点からの革新的な解釈もさることながら、客席上部に待機したトランペット奏者に合図するためにこちらに身体を向ける演出や、アンコールで客席に向かい人差し指を口にあてて一瞬で拍手を止めさせ、話しかける気さくさ、フットワークの軽さも人気の要因だろう。
終演後はCDが飛ぶように売れ、楽屋口には長い出待ちの列ができていた。

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【コンサート覚書き】エリソ・ヴィルサラーゼ ピアノリサイタル

2020年1月23日 by admin
Elisso Virsaladse Piano Recital

@Hamarikyu Asahi Hall, Tokyo

Program
Tchaikovsky: Les Saisons
Prokofiev: Sarcasms, Toccata
Schumann: Novelette Nr 8, Fantasie

ゲンリフ・ネイガウス直伝のロシアピアニズムを継承するピアニストとしては今やもうほぼ最後の存在となってしまったエリソ・ヴィルサラーゼが、今年も非常に興味を唆られるプログラムとともに来日してくれた。

チャイコフスキー 四季(1月〜8月)は冒頭から、まるで自宅のピアノで弾き出したかのようごく自然で温かな息づかいと集中力で聞かせる。それぞれの曲の性格を、あたかも匂いを嗅ぐかのように瞬時に掴み、移行していく。これまでにも増してその瞬間は冴え渡っていて、息つく暇もなくガラッと雰囲気を変える巧さに脱帽する。豊富なピアニッシモ層のグラデーションと、身体に染み付いた語り口を堪能した。

プロコフィエフは一転、乾いたペダリングや禁欲的な響きで輪郭のみを提示しながら進む。グロテスク過ぎる表現を嫌い、どれも足早に過ぎ去り、曲のエッセンスが凝縮、圧縮されたような表現が新鮮だった。

後半、お得意のシューマンは俄然音に膨らみが出て、響きに色彩が増す。ノヴェレッテは留学中のミラノでも聴いたことを、つい先日のように思い出し、あれから20年も経つのにまるで色あせることのないピアニズムを聴きながら、学生時代彼女のレコードを聴いて以来、何にこんなに惹きつけられるのだろうと考えてみる。ロシア・ピアニズム特有の息の長いフレーズはもちろん、“徹底”した声部間のバランスと鋭敏なリズム感、そして感情に飲み込まれ過ぎない凛とした表現に惹きつけられ、また音楽に対する彼女の信念の強さに心から共感しているのだなと思う。70代後半になってもこのエネルギー、ただ敬服!!

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【コンサート覚書き】アレクセイ・リュビモフ ピアノ・リサイタル

2019年10月2日 by admin
Alexei Lubimov Piano Recital

@Sumida Triphony Hall

Program
Mozart Fantasie d moll K397
Sonate a moll K310
Karmanov Schumaniana
Ustvolskaja Sonate Nr.5
Mozart Fantasie c moll K396
Sonate c moll K457

先週末、衝撃の引退宣言⁉︎ という見出しに驚きながら一年振りにリュビモフの演奏会へ。

まず幻想曲の出だしのアルペジオから、和音が生まれては朽ちてゆくさまをセンスのあるルバートで見事に表現し、メロディーを歌わせながらその伴奏形を活かすペダリングの巧さに魅せられてしまう。古典のスタイルを保つ中での表現の大胆さといおうか、繰り返しの妙技は勿論のこと、次のイ短調ソナタでは強拍を強調するその弾き方が転調とともに説得力を増し、曲の本質へとぐいぐい迫っていく。現代曲を好んで弾くからこその休符や楽章間の間合い、アウフタクトから導かれる動きがあり、また古楽器を好んで弾くからこその手首の柔軟さや抜け感は緩徐楽章のしなやかな音の伸びに繋がっている。第3楽章のイ長調の挿入部は本当に美しく、透明感のある儚げな色彩と凛とした様式美があった。

私自身と同世代の作曲家カルマノフのシューマニアーナ(リュビモフに献呈)は、曲を貫く無窮動的な動きのなかに、シューマン特有のリズムや和声進行が盛り込まれたものだが、一瞬たりとも気が緩まない、見事な緊張感で奏者としての責任を果たしていく。こんなに高いクオリティーで演奏することができるのに、来年を持ってホールでの演奏は引退をするというのだから、とても信じがたい。

後半のウストヴォリスカヤのソナタは以前も彼の演奏で聴いたことがあるが、その時とはまた違う印象で、強烈なクラスター音の連続に現在我々が直面する環境問題への警告のようにも感じ取れた。

モーツァルトのハ短調ファンタジーはいわゆる有名な方ではなく、弟子のシュタードラーが補筆したものであまり耳慣れない曲だけれど、まるでその場で即興演奏をするかのような思い切りと自由闊達な語り口で聴かせる。その後の同調のソナタも前半と同様に、テクスチュアをすっきりと聴かせてくれ、第2楽章の伸びやかな歌い口など、音の行く末まで神経を行き巡らせた名演だった。

このピアノでやりたいことがあると言って選んだCFXの、調整の素晴らしさもあいまって、強打も弱音も、切れも伸びも、バランスも自在に操って、とても弾きやすそうだったのも印象的だった。

先週の恩師ペトルシャンスキーに続き今回、そして明日のリュビモフによるカルト音楽の夜(!)、来週のシチェルバコフとロシアン・ピアニズム満喫の日々は続く…

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【アート覚書き】シャルル・フランソワ・ドービニー展

2019年6月23日 by admin

梅雨の合間に東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館のドービニー展へ。

Charles François Daubigny@Seiji Togo Memorial Sompo Japan Museum of Art

一年振りに行ってみると、このビルの隣に背の低い新美術館を建築中で、高層ビルの44階で絵を観るのは最後になりそうだ。

シャルル・フランソワ・ドービニー(1817〜1878)は同じく風景画家の父を持ち、20歳ほど歳上の画家カミーユ・コローと親しく、制作のために旅行を共にしたり、自分のアトリエの壁画を頼んで描いてもらったり、自らの意思によりペール・ラシェーズ墓地にも並んで眠っているそう。あのゴッホの憧れの画家でもあり、面会は叶わなかったらしいが、《ドービニーの庭》という作品を残している。

歴史的風景画を描いていた1840年頃の作品でも既に空の高さとその色を際立たせており、洗濯する女性のいる水辺の絵など、樹々の緑のグラデーションが目を惹く。明らかに写実ではなく、印象派のはしりと言うべきか。ローマ賞に二度落選したというけれど、パリのマリー橋を描いた小さな水彩画は夕暮れが美しく、オワーズ河畔を描いた作品はどれも空間の広がりと緑のグラデーションが美しい。ベルギーに起源を持つオワーズ川はセーヌ川に比べると対岸が近く、しかも水量が豊富で穏やかなので、多くの画家が移り住んでいるそうだが、ドービニーもその一人で、オワーズ川の夜明け、日没、春、夏、雨模様の空など、水辺の光と空気を描き分けている。
特に《オワーズ川の中州》は観ているこちらも深い呼吸のできる作品で、ヨーロッパの空気感を思い出す。コローの作品に比べると、空の広がりと明るさが増し、水面に映る空の青と樹々の緑が光を捉えている。

40歳で『ボタン号』というアトリエ小屋のついた小舟を手に入れると、見習い水夫という名の息子カールと旅に出る。旅先で写生をして、それをもとに部屋にこもって絵を描くのではなく、自然に近いところで描く姿勢が、若いモネやピサロに影響を与えたという。
版画集《船の旅》はそんな旅の情景を作品にしたもので、水夫である息子が釣りをする様子、船で食事を作り酒を飲んだり、大きな蒸気船のあおりを受けて転覆しそうになったり、アトリエ小屋の中で寝る様子などが描かれ、ほのぼのとした雰囲気が伝わる。息子も同じく風景画を描き、3点あった絵画からは父と瓜二つの筆使いが見て取れた。
晩年まで船の旅を続け、次第に筆使いを残す、荒いタッチになっていった。

それにしても、時間帯によるのかもしれないけれど、空いている美術館で一対一で絵と対峙できるのは何と幸せなことだろうか!

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〔facebookパーソナルページより転載〕

カテゴリー: 三宅麻美アート覚書き タグ: facebook
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