『音楽の友』2008年7月号

●三宅麻美p
生誕100年にあたる2006年に3回にわたるショスタコーヴィチ・シリーズを開催した三宅麻美がその続編として「ショスタコーヴィチと同時代の作曲家」をテーマにシリーズ第4回を開催した。
ショスタコーヴィチのピアノ作品としては若書きの「3つの幻想的な舞曲」、作品番号を持たない「5つの前奏曲」の2曲のほか、ヴィオラの臼木麻弥との共演で「ヴィオラ・ソナタ」が演奏されたが、近年この作
曲家とひたむきに向き合ってきただけあって、今やすっかりショスタコーヴィチの語り口を、みすからの言葉で語れるまでに成長した三宅のピアノが印象的だった。音に重量感が増し、表現の幅も確実に広がってい
たのである。
周辺作囲家としてとりあげられていたカバレフスキー、ミヤスコフスキー、ブリテン作品のうちではミヤスコフスキーの「ピアノ・ソナタ第2番」に思いのほかの聴き応えがあり、三宅の佳演も手伝って楽しめた。
(4月28日・東京オペラシティ・リサイタルホール)〈萩谷由喜子〉

『レコード芸術』2008年4月号 ショスタコーヴィチ「24の前奏曲とフーガ(全曲)」批評2件

  

■ショスタコーヴィチ:24の前奏曲とフーガ(全曲)
濱田滋郎●]iro Hamada
推薦 ショスタコーヴィチがバッハのそれに触発され、言うならば〝あやかって〟作曲した《24の前奏曲とフーガ》作品87(1950~51年) は内容豊富な力作であるが、規模の大きさ(当録音はCD3枚にわたっている) があるいは禍いしてか、全曲演奏に出会える機会は少ない。レコード録音にしても、作曲家との直接の縁から定評のあるニコラーエワのそれ以外では、アシュケナージ、思いがけぬキース・ジャレットがあったぐらいではなかろうか(ショスタコーヴィチ自作自演は数曲にとどまる)。
当ディスクの演奏者、三宅麻美は東京芸大卒業後、ベルリン芸術大学をも最高点で了え、ヨーロッパでの演奏活動や国際コンクール高位入賞も多い、実力豊かなピアニスト。2006年、彼女はショスタコーヴィチの生誕100年を記念する演奏会で、つごう3夜にわたり、この全曲を弾いた。この快挙が、2007年録音の当盤につながったわけである。当然、曲目解説をも自ら担当しているほか、「ショスタコーヴィチ年譜」までブックレット内に添えている三宅麻美の、作品に対する理解、洞察は周到なものである。全体から言えば端麗な、余分な粉飾のない演奏であるが、曲それぞれの性格をよく把えて、程よい表情づけないし感情移入を行う。それはしばしば、十分に聴きてを惹きつけ、心を委ねさせる域に達している。日本人による初めての全曲録音であると同時に、立派な自己主張、主体性にも欠けていない、国際的な評価に値するディスクでもある。言葉を替えるなら、ともすれば取りつきにくそうなこの大作のうちに、思いのほか親しみやすく、時にはしみじみと心を打つ楽想も少なからず含まれていることを、有効に告げてくれるディスクでもある。心おきない「推薦」を贈りたい。

 

那須田務●Tsutomu Nasuda
準 ショスタコーヴィチは生誕100年の2006年を経てますます人気が高まっている。ピアノ曲のディスクも《24の前奏曲》作品34がほぼ同時期に橋本京子と相沢吏江子の二人によってリリースされたばかり。それはさておき、この度リリースされたのは、三宅麻美による《24の前奏曲とフーガ》作品87。三宅は2006年に東京オペラシティで3回に分けて同曲集の全曲演奏を行ない、その翌年に録音されたものだ。作品87はバッハの影響が指摘されている大作で、コンサートでの全曲演奏自体大変なことだが、録音となるとタスキにもあるように、邦人では初めてかもしれない(外国のアーティストでは、デッカのアシュケナージ盤が最右翼だろう)。どの曲も入念な準備と熟考の後を示す、しっかりと手の裡に入った安定した解釈が聴かれる。個々の曲の性格づけも然り。同時に、各曲の関連性や全曲のなかでの意味づけにおいても自然だし、十分に納得がゆく。1番の前奏曲のしみじみとした趣、続くフーガはやわらかな音色と情趣に彩られ、4つの声部はレガートでよく歌う。2番はウェットなタッチの16分音符のこまやかな動きが情緒的で、フーガはシニカル。3番はロシア的な重々しさを備え、4曲目のゆったりとしたテンポで奏でられるフーガの内面的な昧わいがいい。第6番の前奏曲は付点リズムと跳躍する音程を持った曲だが、重苦しさと物憂げな表情に覆われている。8番の前奏曲のユダヤ的な性格が(これを三宅はショスタコーヴィチのソ連当局への抵抗の現れと見る)、物憂げな情感をもって描かれる。フーガには人肌の温もりがある。総じて、ショスタコーヴィチならではの音程や和音の面白さを的確に捉えつつ、幾分くすんだ湿度の高い音色と内面的な表現によって、これらの音楽の持つメランコリックで情緒的な色合いが前面に出たアジア的な感性の演奏といえる。それだけに、わが国の聴き手にとって親しみやすい。

 

CD『24の前奏曲とフーガ』の批評が公明新聞に

CD『24の前奏曲とフーガ』の批評が2008年3月16日の公明新聞に載りました

◆スターリン体制下の熾烈[しれつ]な芸術批判地獄を果敢に生きぬいたしたたかな作曲家、というイメージもあれば、交響曲第5番の闘争と勝利のテーマでもお馴染みのショスタコーヴィチだが、彼にはピアノ音楽作曲家としてのもうひとつの顔もあった。それに光を当てたのが、生誕100年にあたる2006年に日本の若手、三宅麻美の開いた意欲あふれるリサイタル・シリーズだった。彼女はショスタコーヴィチがバッハのひそみにならって書いた彼のピアノ音楽の集大成に挑み、おそらく日本人初の全曲公開演奏を達成したのだ。この『24の前奏曲とフーガ』(Regulus RGCD-1018 3枚組5250円)は翌年にセッションで録音された労作。音のみずみずしさと粒立ちのよさが、一見難解そうなこの作品への耳を、やさしく開いてくれる。録音も秀逸。
(音楽ジャーナリスト・萩谷由喜子)

『音楽現代』2006年10月号 三宅麻美 ショスタコーヴィチ・シリーズ Vol. 2

 

◆三宅麻美ショスタコーヴィチ・シリーズ Vol. 2
ショスタコーヴィチ生誕100年に関連した催しの中でも、彼の代表的なピアノ作品「24の前奏曲とフーガ」全曲演奏と室内楽曲を組み合わせた当演奏会シリーズは、注目すべきものの1つであろう。三宅麻美は、ラロックダンテロン国際ピアノフェスティヴァルでも「24の前奏曲とフーガ」を演奏している。当夜の前半はこの中から「11、6、7、8、9、10、14、15番」を演奏したが、各曲の性格が明確に表現されており、まさに音色のパレット。弾力感のあるタッチ、水が滴り落ちるような湿った音色、さらには教会の鐘のような広がりのある響きまで実に多彩、演奏家の耳のよさとともに作品背景も充分に感じられる演奏。ことに第6番、フーガ部分のしっとりとした流れは、秀逸。後半の「ミケランジェロの詩による組曲」より5曲(バリトン、河野真剛)は平坦な表現が惜しまれる。「チェロとピアノのためのソナタ・ニ長調」(チェロ、長南牧人)は、やや淡白なソロだが、歌心は感じられた。(8月5日、東京オペラシティ・リサイタルホール)(生田美子)

『ショパン』2006年6月号「生誕100年のショスタコーヴィチに光!」

生誕100年のショスタコーヴィチに光! 三宅麻美 ピアノリサイタル
3月26日 東京オペラシティリサイタルホール
[文]萩谷由喜子 [写真]長澤直子

 生誕250年のモーツァルトを祝うコンサートは目白押しだが、存命なら100歳を迎えるショスタコーヴィチに因んだコンサートは数少なく貴重だ。その彼の「24の前奏曲とフーガ」と室内楽曲を組み合わせて3回シリーズのコンサートを企画したのが、イモラ音楽院でショスタコーヴィチの権威ペトルシャンスキーに師事した三宅麻美。今回はその第1回で、前半は「24の前奏曲とフーガ」の1~5番、16、17、13、12番。第1番プレリュードは清澄な音色でモノフォニー・ラインをきれいに描いて始まり、フーガは一転して複層ラインがよく整理されていた。第4番も佳演。第16番は曲が長大なだけに聴き手を倦ませず弾ききるのはなかなか難仕事。全曲の核心をなす第12番を最後にもっていく配列は正解。この超難曲までスタミナを維持し、弾きおおせたのはたいへんな精進であったと思う。後半はヴァイオリンの清水醍輝、チェロの長南牧人を迎えてピアノ三重奏曲第2番ホ短調。冒頭楽章では深い悲しみの感情がチェロのフラジョレットをはじめ3者の美しい音で表現され、スケルツォ楽章ではこの作曲家ならではのシニカルな味をみごとに奏出、パッサカリアでの3者の呼吸もよく揃っていた。とかく晦渋な作曲家と思われがちなショスタコーヴィチに果敢に取り組み、光を当てた好企画、次回と次々回への期待が膨らむ。

『ムジカノーヴァ』2006年6月号

『ムジカノーヴァ』2006年6月号

 「生誕100年ショスタコーヴィチ・イヤーに捧ぐ」を題したこのシリーズでは《24の前奏曲とフーガ》全曲と室内楽が披露される。この巨大なシリーズに挑むのは三宅麻美で、洗足学園音大で後進の指導にもあたっている。東京芸大に学んだ後、イモラ音楽院、ベルリン芸大大学院を修了、ヴィオッティ国際コンクールやフィナーレリグレ国際音楽コンクールなどの入賞歴をもち、国内外のオーケストラと共演するなど、着実にキャリアを重ねている。
当夜はシリーズ第1夜。前半は《24の前奏曲とフーガ》作品87より第1番~第5番、第16番、第17番、第13番そして第12番(演奏順)。この作品集において、ショスタコーヴィチヘの三宅の並々ならぬ思い入れが強烈にアピールされた。作品に対する緻密で考え抜かれた濱奏に支えられ、禁欲的でありながら作品への深い感情移入の感じられる音楽である。しかし、決して開放的に自己の感情を表出するのではなく、内面の静寂を重んじた実に説得カのあるピアノであった。この作品集は2年の歳月を経て作曲されているが、この間にこの作曲家が置かれた社会的な境遇や心理的な変化を、三宅は共感をもって汲みとり、それぞれの作品がもつデリケートな様相を鮮明に浮き彫りにした。特に第2番において、鉛のように重たいタッチから創出される響きは、沈黙の重みを髣髴とさせ、ショスタコーヴィチの抵抗と苦悩が見事に追体験されている。後半は《ピアノ三重奏曲第2番》。ヴァイオリンの清水醍輝、チェロの長南牧人による卓越した演奏は、ピアノを引き立てつつそれぞれの音楽的独創性を尊重しながら、研ぎ澄まされた感性でトリオを築き上げていた。没後100年を記念するにfusa
さわしい、人間ショスタコーヴィチを実感させる演奏であった。
(3月26日、東京オペラシティリサイタルホール)
道下京子

『音楽現代』2006年6月号

『音楽現代』2006年6月号

◆三宅麻美ショスタコーヴィチ・シリーズ Vol 1
三宅は芸大やべルリン芸術に学び、ドイツやイタリアで活躍している。ショスタコーヴィチ生誕100年の今年、ナマで聴ける機会の少ない「24の前奏曲とフーガ」全曲演奏に挑む。これに室内楽や声楽を組み合わせた、全3回の意欲的な演奏会の第1夜。「前奏曲とフーガ」は第1番から5番、第16、17、13、12番の9曲を演奏した。三宅は明快でバランスの良い表現を聴かせる。堂々たる押し出しも雄弁。第2番フーガのキレの良さ、第3番フーガはリズミックな華やかさで確実なタッチから運動性溢れる。第17番は積極的な表現と濃厚な色彩感。第13番の前奏曲は多彩な響きをシンフォニックにとらえ、フーガは意志的な粘りを聴かせる。第12番は強固な意志力を感じさせる前奏曲。フーガは攻撃的にとらえ、リズムがはじけ色彩が放射される。後半はピアノ三重奏曲第2番だが、ヴァイオリンの清水醍輝とチェロの長南牧人があまりにも冴えない。渾身のピアノの足を引っ張って最低。(3月26日、東京オペラシティ・リサイタルホール)
(諏訪節生)