『レコード芸術』2008年4月号 ショスタコーヴィチ「24の前奏曲とフーガ(全曲)」批評2件

  

■ショスタコーヴィチ:24の前奏曲とフーガ(全曲)
濱田滋郎●]iro Hamada
推薦 ショスタコーヴィチがバッハのそれに触発され、言うならば〝あやかって〟作曲した《24の前奏曲とフーガ》作品87(1950~51年) は内容豊富な力作であるが、規模の大きさ(当録音はCD3枚にわたっている) があるいは禍いしてか、全曲演奏に出会える機会は少ない。レコード録音にしても、作曲家との直接の縁から定評のあるニコラーエワのそれ以外では、アシュケナージ、思いがけぬキース・ジャレットがあったぐらいではなかろうか(ショスタコーヴィチ自作自演は数曲にとどまる)。
当ディスクの演奏者、三宅麻美は東京芸大卒業後、ベルリン芸術大学をも最高点で了え、ヨーロッパでの演奏活動や国際コンクール高位入賞も多い、実力豊かなピアニスト。2006年、彼女はショスタコーヴィチの生誕100年を記念する演奏会で、つごう3夜にわたり、この全曲を弾いた。この快挙が、2007年録音の当盤につながったわけである。当然、曲目解説をも自ら担当しているほか、「ショスタコーヴィチ年譜」までブックレット内に添えている三宅麻美の、作品に対する理解、洞察は周到なものである。全体から言えば端麗な、余分な粉飾のない演奏であるが、曲それぞれの性格をよく把えて、程よい表情づけないし感情移入を行う。それはしばしば、十分に聴きてを惹きつけ、心を委ねさせる域に達している。日本人による初めての全曲録音であると同時に、立派な自己主張、主体性にも欠けていない、国際的な評価に値するディスクでもある。言葉を替えるなら、ともすれば取りつきにくそうなこの大作のうちに、思いのほか親しみやすく、時にはしみじみと心を打つ楽想も少なからず含まれていることを、有効に告げてくれるディスクでもある。心おきない「推薦」を贈りたい。

 

那須田務●Tsutomu Nasuda
準 ショスタコーヴィチは生誕100年の2006年を経てますます人気が高まっている。ピアノ曲のディスクも《24の前奏曲》作品34がほぼ同時期に橋本京子と相沢吏江子の二人によってリリースされたばかり。それはさておき、この度リリースされたのは、三宅麻美による《24の前奏曲とフーガ》作品87。三宅は2006年に東京オペラシティで3回に分けて同曲集の全曲演奏を行ない、その翌年に録音されたものだ。作品87はバッハの影響が指摘されている大作で、コンサートでの全曲演奏自体大変なことだが、録音となるとタスキにもあるように、邦人では初めてかもしれない(外国のアーティストでは、デッカのアシュケナージ盤が最右翼だろう)。どの曲も入念な準備と熟考の後を示す、しっかりと手の裡に入った安定した解釈が聴かれる。個々の曲の性格づけも然り。同時に、各曲の関連性や全曲のなかでの意味づけにおいても自然だし、十分に納得がゆく。1番の前奏曲のしみじみとした趣、続くフーガはやわらかな音色と情趣に彩られ、4つの声部はレガートでよく歌う。2番はウェットなタッチの16分音符のこまやかな動きが情緒的で、フーガはシニカル。3番はロシア的な重々しさを備え、4曲目のゆったりとしたテンポで奏でられるフーガの内面的な昧わいがいい。第6番の前奏曲は付点リズムと跳躍する音程を持った曲だが、重苦しさと物憂げな表情に覆われている。8番の前奏曲のユダヤ的な性格が(これを三宅はショスタコーヴィチのソ連当局への抵抗の現れと見る)、物憂げな情感をもって描かれる。フーガには人肌の温もりがある。総じて、ショスタコーヴィチならではの音程や和音の面白さを的確に捉えつつ、幾分くすんだ湿度の高い音色と内面的な表現によって、これらの音楽の持つメランコリックで情緒的な色合いが前面に出たアジア的な感性の演奏といえる。それだけに、わが国の聴き手にとって親しみやすい。