アレクサンドル・クニャーゼフ&ニコライ・ルガンスキー
デュオリサイタル
Alexander Kniazev & Nikolai Lugansky
Duo Recital @ Kioi Hall, Tokyo
先月下旬、ロシア人同士の演奏家によるロシア・プログラムを楽しみに出かけた。
まず耳に飛び込んでくるのがチェロのふくよかな音。弓に相当な圧力をかけるためか、音の威力がすごい。エンドピンが短く、床板が近いので、地面というか大地との一体感を感じるような音。舞台との距離がかなりある2階席右端にいても十二分に表情が伝わってくる。
対するピアノの音はチェロとは正反対で、容積はあっても密度が薄く、スタインウェイピアノが良くないのか、わざと音の芯を捉えていないのか、やりたいことがこちらに伝わってこない。濃密な音作りやフレージング、場面構築をするクニャーゼフ(ノンヴィブラートのストレートな音作りがショスタコーヴィチの音楽に非常にマッチングしており、はたまたロマンティックな第1楽章第2テーマや第3楽章のテーマの出だしなど、その場面毎に合わせた世界観が、第1音から毅然と現れている)に対し、ルガンスキーは音のみならずその音楽にすら乗り遅れているというか、乗り切れていないというか。こちらも理想像がはっきりとあるだけに、とても歯痒い気持ちで聴いていた。
2曲目、フランクのヴァイオリン・ソナタをチェロで聴くのは初めてだったが、その違和感を覚えたのは始めの方だけで、あとは自然に聴き入った。ただヴァイオリンではフッと力を抜くところなどにもクニャーゼフの全身全霊で弾くスタイルが貫かれるため、聞く側としてはやや疲れてしまう。
ルガンスキーはショスタコーヴィチよりもフランクの方が音質的に合っているようで、第2楽章最後の疾走感やチェロとのバランスは見事で、第4楽章の天から降り注ぐようなテーマは美しかった。
ラフマニノフになると、ますますピアノが主体になってくるだけに、前半で感じていた不足感が助長。昨年バッハ無伴奏の時に感嘆したように、チェロがいかに繰り返しを違ったニュアンスで巧みに聴かせても、再現部の調性感を見事に表現しても、それに応え、支え、包み込み、またこちらからも仕掛けて行くピアノがないと感動もできず、全曲暗譜のクニャーゼフに対して、ピアニストの情熱の温度差、物足りなさを感じざるを得なかった。これがもしリヒテルだったなら….!!
アンコールは3曲。ブラームス歌曲編曲がまた、本当に歌を歌っているような抑揚で素晴らしかった。