ロシア絵画の至宝展&ロマンティック・ロシア展
Exhibitions of Russian painting @ Tokyo Fuji Art Museum and Bunkamura Museum
5年前、サンクトペテルブルクを訪れた時に行きそびれていたロシア美術館所蔵の展示というので、先月の休日に楽しみに八王子の東京富士美術館へ出かけた。
暗い色合いのものが多く、ともすれば陰鬱に見えがちなロシア絵画だが、そのほの暗さなかにともし火があり、人々の語らいや驚き、そして生きる糧が描かれている。
レヴィタンやシーシキンの風景画にある広大な空や大地、母なる河、奥深い森は、画家自身がインスピレーションを受けた場所そのものであり、アイヴァゾフスキーの海洋画は、クリミア半島の眩いばかりの陽の光とその光に包まれて霞む帆船が輝いている。光の放射、広がりに画家の生命力を感じざるを得ない。
そしてなんと言ってもイリヤ・レーピンの《サトコ》は、時間を忘れて観ていられる作品で、目当てに行った甲斐があるというもの。
水中の王国での商人が花嫁を選ぶという、ノヴゴロドの叙事詩の一場面だが、まずその大きさに圧倒される。水の中で輝く華やいだ人魚の行列、忠実に描かれた魚や甲殻類の一つ一つ、前に立つとまるで宝石箱をのぞくようなワクワク感に包まれる。そして視点は画家の想いが注がれた主人公サトコヘ。その想いは画家の愛国心の表れであり、皇帝の買い上げになったというのも頷ける。
「美は好みの問題だが、私にとって、美とは真実のなかにある」 とのレーピンの言葉は、裸足のトルストイを描いた絵といい、絵画だけにとどまらず音楽においてもそうあるべきと強く思う。
そして今月になって出掛けたBunkamuraのロマンティック・ロシア展は、モスクワ・トレチャコフ美術館所蔵の作品展示で、私も10年振りにクラムスコイの《忘れえぬ女》を観た。
レヴィタンの作品は富士美術館よりも一段と素晴らしく《森の小花と忘れな草》や《樫の木》など、さりげなく飾られた名もない花に愛おしさ、そして見返りを求めずその場に立ち続け与え続ける樹木への恩恵が表れている。
クラムスコイが生涯に一点だけの花を描いた作品という《花瓶のフロックス》は、花の赤味と白味、葉の薄い緑、花瓶の照りのある濃紺の色の配置といい、構図といい、目を奪われた。
今回のレーピンは二点とも肖像画で、師であり友であったクラムスコイと、ロシア音楽界に多大な功績を残したアントン・ルビンシテイン。座り方や腕の組み方など、それぞれの佇まいに真実を追求する姿勢が伝わる。クラムスコイの目線、ルビンシテインのくつろぎながらも衰えない風格、それは背景の色使いにも表れる。前者はグレーに近い緑、後者は赤茶色と描き分け、肖像画においてさえも高い芸術性を感じさせる。
そして、二度目の《忘れえぬ女》との対面は、初回に感じたよりもより細部への筆使いに関心が向いた。濃紺色の持つ落ち着きと高貴な存在感、ビロードや毛皮の質感の表現、背景の暖かな白色、その色とはまた違う肌色の透明感、眉毛やまつ毛、眼孔の濃さが特徴的な目線を印象付ける。
観る人にその精神性や奥深い魅力を与えてくれるロシア絵画を堪能した2日だった。
〔facebookパーソナルページより転載〕