今年度最後の試験審査任務を終えて、久々にドイツリートを聴きにトッパンホールへ。
Till Fellner Schumann Project with Mark Padmore@Toppan Hall, Tokyo
シューマン:5つの歌曲 作品40
ハンス・ツェンダー:山の空洞の中で〜ジャン・パウルの詩による2つの歌(日本初演)
ベートーヴェン:遥かなる恋人に寄す
シューマン:詩人の恋
このプログラムを見るなり惹かれて、すぐにチケットを入手した。
歌手パドモアは、なんて柔らかで伸びやかな声の持ち主だろう。古楽合唱の発声なのだろうか、抑揚を自在につけられるので、歌詞に合わせて非常に臨場感のあるロマンティックな表情を随所にともなう。
正統派との呼び声が高いフェルナーのピアノは初めて聴いたが、とても知的でチャレンジ精神に溢れている。
新曲では、演奏前にピアノの弦にピアニスト自身が細工をし、譜面台横に無造作に置かれたiBookを操作して、マイクの入った内部奏法音が場内に流れた。
そのiBookが直後のベートーヴェンでもその場にあったので、かなり違和感を感じたのだけれど、ベートーヴェンの出だしを歌い出してすぐ、sorryと言って歌手を止めたのには驚いた。新曲の際に閉じたピアノの蓋をまた開けるのを忘れたのだ。
それはピアニストが忘れたのか、係りの人が忘れたのかはわからないが、一度始まったものをすぐさま止めることが果たしてその場の最善策だっただろうか、、、
日本語で「すみません」と言って雰囲気は少し和ませたけれど、あきらかに止められたときの方が歌手のノリが良かった。ああ、この出だし!とこちらも曲の世界に入り込んだ矢先だったので、本当に驚いた。そのまま弾いて欲しかった。
それでもベートーヴェンでは二人の語り口が1つの世界観を創り、クライマックスの感動へ導いてくれたが、後半のシューマンは学生時代に聴き続けた曲だったからか、イギリス人パドモアの独特な発声が、ドイツ語が持つリズムや響きを若干崩していることが気になった。ドイツリートはやはりドイツ語自体が持つ厳格さというか、韻もさながら、発音から来る独特な篭りというのだろうか、そういうものに支配されて然るべきなのでは?と。昔サヴァリッシュのピアノでディースカウを聴いた感動には至らないのはもちろんわかっていたけれど、これは外国人にはやはり難しいものなのだろうか。他にもリートを聴いてみたくなった。
〔facebookパーソナルページより転載〕