『音楽の友』2017年2月号《ハンマークラヴィーア》

『音楽の友』2017年2月号 167ページ「Concert Reviews」に、2016年12月3日の《ハンマークラヴィーア》について「…今年国内で演奏された同曲のトップのレヴェル」との批評が掲載されました。(筆者:音楽ジャーナリスト 上田弘子氏)

 

 束京藝大、ベルリン芸大、イモラ国際ピアノアカデミー等で研鑽を積んだ三宅が2010年から開始した「ベートーヴェンピアノソナタ全曲演奏会」の第8回。三宅の、いつ何を聴いても感心するのが読譜の深さ。徹底解析からの音価と打鍵は正確無比で、そこには作曲家への深い尊敬があるため、音楽の方から正解を指し示してくれているよう。その正解を三宅は敬愛の技術でキャッチし、最初の《3つの選帝侯ソナタ第3番》から高い精神性と成熟のウィットで奏す。べートーヴェン幼少期の作品だが随所に先見の明のある楽想を、三宅はセンスの良い緩急で創る(特にⅡ)。「ソナタ第27番」ではロマン派初期の趣が心地良い。奏法、ペダリングも熟考で、当時の楽器をも想起させる巧さ。そして《ハンマークラヴィーア》の「ソナタ第29番」。よくぞここまで! というほど楽譜は読み込まれ、そして咀嚼されているから恐れ入る。良く整理された和声と進行(Ⅰ)、知的なリズム感で聴き手を愉しませ(Ⅱ)、往年のリート歌手の如きドイツ語の音列(Ⅲ)、複雑な構成も死力で対峙(Ⅳ)。好きすぎて演りすぎの感も所々。しかし今年国内で演奏された同曲のトップのレヴェル。
(12月3日・ヤマハ銀座コンサートサロン)〈上田弘子〉

 

『音楽現代』2015年9月号 ヤマハ銀座での演奏

『音楽現代』2015年9月号(138ページ)「演奏会批評」に、2015年7月11日(土)のヤマハ銀座コンサートサロンでの演奏が「…三宅は臆するところなく、逆に樂しむかのように楽聖の深みに臨んでいる。見事な解析。頼もしきベートーヴェン弾きである」との批評が掲載されました(筆者:音楽ジャーナリスト 上田弘子氏)。

『音楽現代』2014年9月号

      

▼三宅麻美&アンドレイ・コロベイニコフ ピアノ・デュオ
東京、ベルリンの芸術大学に学び、国内外のオーケストラと共演、ソリストと室内楽奏者としても幅広い活動をしている三宅麻美。現在進行中のショスタコーヴィチ・シリーズの第6弾を来日中のロシアのピアニス卜、アンドレイ・コロベイニコフと共演、デュオ作品を披露した。注目はプログラム最初におかれた作曲者自身による「交響曲第9番」(4手連弾)の全曲版。変化に富んだこの曲で両者は息もピッタリ、高度な音楽性でショスタコーヴィチの世界に迫る。「2台ピアノのためのコンチェルティーノ」は充実期の作で、熱い演奏に音の波が心に迫る。休憩後の「2台ピアノのための組曲」は、作曲者16歳の頃に急逝した父親への追悼の意を込めて書かれた4曲からなる大作。彼の作品としては聴きやすいが、各所で才能の一旦を示している。アンコール2曲(タランテラ、陽気なマーチ)も聞き応え充分。楽しいバースデー・サプライズ演出もあり会場は熱い拍手に包まれた。

(7月10日、トッパンホール) (福田 滋)

 

『ぶらあぼ』2014年7月号インタビュー記事

『ぶらあぼ』2014年7月号に「ショスタコーヴィチ・シリーズ Vol. 6」のインタビュー記事が掲載されました。

三宅麻美&アンドレイ・コロベイニコフ ピアノ・デュオ

文:笹田和人

4手連弾で聴くショスタコ・サウンド

東京芸大からベルリン芸大に学び、オーケストラとの共演や国際コンクールでの入賞など欧州での実績を重ねたピアノの三宅麻美。ベルリン芸大大学院を修了して帰国後も、精力的な活動を展開する彼女は、2006年の生誕100年を機に「ショスタコーヴィチ・シリーズをスタートさせた。これまでに5回を開催し、「ショスタコーヴィチの音が、血となり肉となった感覚がある」と振り返る。
今回はロシアの俊英ピアニスト、アンドレイ・コロベイニコフを迎えて。実は、2年も前から熱望し、ようやく共演が叶った三宅は「非常に嬉しく、興奮しています」。まずは、作曲家自身の編曲による4手連弾版の「交響曲第9番」を。「ピアニストにとって、加わりたくても不可能なオーケストラ作品を演奏できるのは、大きな喜び」と期待を膨らませる。そして、インパクトに満ちた「コンチェルティーノ」や、若き作曲家が急逝した父親への哀惜の気持ちを込めた「組曲 嬰へ短調」を2台ピアノで披露2人の名手による“音の会話を楽しみたい。

 

『音楽の友』2010年7月号

三宅麻美
芸大卒業後ベルリンとイモラに学んだ三宅麻美は近年進境の著しいピアニスト。06年に開始したショスタコーヴィチ・シリーズも第5回を迎え、ソロとアンサンブルに成長ぶりを示した。前半のソロは「3つの幻想的舞曲」と「24の前奏曲」。前者では間の取り方と、各曲の性格の対比的奏出が秀逸。後者も24曲の多彩な表情をゆとりで弾き分け、全曲飽かさず聴かせ通した。メロディスト、情熱家、皮肉屋、哲学者、さまざまなショスタコーヴィチが鍵盤から踊りだす様は愉快爽快。後半は荒井英治を招いての「ヴァイオリン・ソナタ」。なんと適任のゲストだろう。楽譜の情報を漏らさず読み取り、命を吹き込むという行為の神髄を荒井は目のあたりに見せてくれ、彼の発信を受け止めた三宅も同じ高みに昇った。スケルツオの求心力、フィナーレの両カデンツア、弓の多彩な技巧、白熱のアッチェレランド。ショスタコーヴィチ・ファンを増やしたこと間違いなし。
(5月23日・王子ホール) 〈萩谷由喜子〉

三宅麻美  ショスタコーヴィチ・シリーズ Vol. 5

三宅麻美  ショスタコーヴィチ・シリーズ Vol. 5

相貌の違いを堪能

ピアニスト三宅麻美が2006年からショスタコーヴィチ・シリーズを行い、ピアノ曲「24の前奏曲とフーガ」をはじめ、室内楽曲や歌曲のジャンルにまで踏み込んだ意欲的な演奏を聴かせてきた。シリーズ最終回で組んだプログラムは、10代、20代に作曲されたピアノ独奏曲と晩年の「ヴァイオリン・ソナタ」。出発・終盤両地点で見せる(聴かせる)作曲家の相貌の違いを目の当たりで堪能する刺激的なコンサートとなった。
まるでしゃれた前菜を供するように小気味よく聴かせた「三つの幻想的舞曲」。10代半ばにして才気煥発[さいきかんぱつ]、モダンな感覚にあふれたこの小品や、つづいて演奏された20代の曲「24の前奏曲」からは、後の作品に見られるような屈折した韜晦[とうかい]はまだ聴こえてこない。順風満帆とまではいかないが、作曲人生を歩み始めた若いショスタコーヴィチのみずみずしい息吹が、音やリズムの個性的表情から生き生きと聴こえてくる。各曲の性格的な特色をつかんだ演奏がその変幻多彩な面白さをよく引き出して、聴く者を飽きさせない。
一方、作曲家の多事多難な人生が深く刻印されているかのごとき「ヴァイオリン・ソナタ」は、「前奏曲」と同じようには聴けない。レクイエムとも葬送の音楽とも聴こえるこの作品で、作曲者が自分の死について考えていたことは間違いないだろう。ゆるやかなテンポで静謐[せいひつ]な緊張感がつづく両端楽章にはさまれた激烈なスケルツォ楽章は、あたかもディエス・イレ(怒りの日=レクイエムの重要部分)のごとし。うってつけの共演者・荒井英治の渾身[こんしん]の演奏と掛け合わされた迫真のデュオは聴き応え十分。シリーズのとどめにふさわしい快演となった。
(池田逸子・音楽評論家)
5月23日、東京・王子ホール